Dr Makotyの近況報告2023年/

4/17 日曜の16日、幸い病棟の患者さんも落ち着いていたので、ちょっと遠出してきました。水俣です。水俣というと、70年代の医学生にとってはある種の聖地。公害研とか、環境研とかいうサークルが、水俣病について、現地に学べと合宿したり、広報活動したりしておりましたが、小生にとっては縁がなく、水俣は名前しか知らないままでした。当時在籍していた奈良県立医大は、そのころ不正入学で大荒れで、ストライキを打ったり、教授会との団交があったり、全て明らかにすると教授会が決めると、病院勤務の先輩たちが大挙押しかけ決議無効、学長解任など主張し、大混乱になって機動隊まで導入されるという事態になっており、とても外に勉強に行けるような状態ではなかったのです。結局今の今まで水俣は近くて遠い地でした。やや雲行きの怪しい天気のなか、阿蘇を通り、熊本からは高速で水俣まで4時間半。かつての水俣湾は、広大な更地となってエコパークという名の公園になっています。汚染された汚泥を固めて埋め立てたようです。その一角に水俣病資料館なるものが、国立と市立の建物が並んで立っていました。これまでの水俣病の歴史などが多くの資料によって展示され、館内の人影はまばらでしたが、この地が特殊なのだと感じました。ただ私らが水俣病というと真っ先に思い出すのは原田正純先生ですが、この名前はどこにも残されていなかったのが、公式な歴史というものの体質を伺わせるものでした。原田先生とは新潟の調査でご一緒したことがありますが、朗らかで酒飲み、ダンス好きと、いわゆる活動家や大御所の顔をされていなかったことが印象に残ります。アフリカでマラリアにかかってね〜、と笑顔で語られたりされていました。市内で熊本名物の太平燕(ターピーエン)をいただき帰路としました。街角には、水俣病は差別病名だ、有機水銀中毒と言うべきだという看板があって、この地では今も課題なのだなあと感じました。
4/4 カップ焼きそばってたくさん出てますが、ほとんどは麺ばかり。ほんの申し訳程度に刻みキャベツとか入っているのもありますが、極少量です。かなりジャンクな仕立てですが、ここに一工夫。本物のキャベツを手でちぎり、赤い蒲鉾を小刻みにしてレンチンし、熱湯でふやかした麺にのせて粉末ソースをかけてかき混ぜるのです。けっこうまともな焼きそばに変貌しますので、よろしかったらお試しください。インスタント麺でも、ラーメン系はドライ野菜とか入れることが多くなっていますが、今のカップ焼きそばがジャンクすぎるとお感じの方は是非。
3/28 先の土日、旧実家のある倉敷に帰ってきました。半年に一回は家の空気入れ替えに帰っています。大分がやっと開花宣言したその日も、なぜか別府は結構咲いている。宇佐あたりはかなり満開に近い木もあるってことで、大分市だけが遅れていたわけですか。今回行きは中国道経由の陸路、帰りは四国まわりのルートを使ってみました。往路は高速料金が約1万円。帰路は高速料金が5000円プラスフェリー料金9000円。こうみると帰りの方が4000円高いようですが、燃料代での差を考えると、往路は500キロで7500円、帰路は300キロで4500円で帰路の方が3000円安い。つまり全体でみると1000円の差になります。身体は四国回りの方がだんぜん楽です。ただ時間はフェリー待ち1時間もあって往路6時間、帰路7時間となりました。この差をどう考えるかですね。とくに帰路のとき、一時帰宅した患者さんが悪化して、予定早めて夕方に入院となったので焦りました。でもフェリー乗り場やフェリーのなかで焦ってもどうにもなりませんけどね。
3/11 昨晩、県南佐伯でながく在宅で闘病されたALS患者さんが亡くなられ、弔問に伺いました。患者さんのご主人が作られたのが皆様ご存知の平川プレートです。気管切開を受けて病室で付き添っていると、突然人工呼吸器の管が外れるのを見て、これでは怖くてトイレにも行けないと考案された器具でした。その奥様が10数年の闘病の末、ほぼTLS状態になられるとともに、心肺機能が不安定化し、最後の2年は入院でした。まだ60歳でしたが、仏壇には若い頃のお姿の遺影が飾られていました。家内のこういう姿見た人は皆さんの中にはいないけどねとご主人は言われていましたが、写真には発病前の美しく朗らかなお顔が輝いていました。ああ、こんな素敵な人だったんだと分かりました。でもちょっとほっとした気もするとご主人がつぶやかれました。長いつらい闘病、患者さんも、ご家族も本当にご苦労さまでした。
3/3 先日、大分市の独立系映画館であるシネマ5で、ヒトラーの絶滅会議なるドイツ映画を見ました。全編会議での発言だけというシュールな映画ですが、なかなか見ごたえがありました。帰ってからネットで映画のことを調べましたが、参加者の実像と俳優が実に似ていることに本気度を感じました。映画に行くと、始まる前にだいたい予告編とかありますが、これで次あれ行こうとか決まる確率高いように思います。映画館さん、予告編ばかり延々と流すシアターを一つ設けませんか?ただじゃ困るというのなら100円くらいとって。映画好きはきっと行きますよ。30分くらいを1クールにしたらいいんじゃないかな。夏とか涼みがてらに2クールとかしばらく見たり。そうすると本編見る可能性もぐっと高くなって映画館のメリット大と思いますけどこのアイデアいかがでしょうか。でも1シアターの独立系とかじゃ無理だな。さて、天網恢恢疎にして漏らさず、という言葉を思い出すような出来事がありました。イエスの言葉を日本語で騙るお方が突然お亡くなりに。どうしてイエスが日本語を喋れるんだというのはおいておいて、天罰覿面という言葉も思い浮かびます。
3/2 JAXAの日本人宇宙飛行士の選抜試験に、東大医学部出身の女医さんが選ばれたことが話題になっています。Drのキャリアを捨てて宇宙に行こうというのもよほど宇宙への憧れがあるんでしょうね。あるいは現実の医療で情熱を失ってしまったのかなとも懸念します。医者の世界のなかでもエリート中のエリートですからね。我々野武士レベルとはわけが違います。ただ、私も属するヨット界隈では、この女医さんが東大ヨット部出身ということでざわついております。大学のヨット部というのは、決しておしゃれなクラブ活動とかではなくて、汗と涙と塩にまみれたこてこての体育会系なんですよね。その意味では体力気力は抜群なんでしょう。ただちょっともったいない気がするのは親御さんも同じじゃないでしょうかね。
2/27 26日の日曜は、久しぶりの休日日直をしました。昔は隔週でやっていたのですが、ここ10年は当直勤務を外注しているので、本当に久しぶりでした。なんでも医師の働き方改善とかで、外部医師でも休日当直は月1回に制限されるそうなのです。内部医師の負担を増やすんなら何のことかという気もしますがそこはおいておいて、依頼されていた業界No1誌への論文を完成させ、学会演題への修正などできました。論文は難病患者の栄養管理と呼吸管理についてで、MSAの栄養についてはこれまであまり検討されてこなかったので一石を投じます。春以降の難病と在宅ケア誌に載ると思います。お楽しみに。学会演題は、コロナに関する調査2件で、呼吸療法医学会に出します。久しぶりの大ネタです。乞うご期待。休日日直も、たまにはまとめて仕事がはかどるのでいいですね。だけど天気はピーカン、空気は冷気。ライブカメラでスキー場の映像を見てため息。行きたかったなあ。FBには書きましたが、結局今年は一回だけのスキーになりそうです。日曜夜のナイターは空いているので滑り放題なんですけどね。さすがにこれから日ごとに暖かくなってゲレンデも痛みそうです。
2/8 また来島海峡で船舶事故が発生しました。3年前に同様の衝突事故があり、その当時から語られているのが、ここの航路が潮流によって航路が逆転するという規則です。通常は海上の規則は右側通行で、行き交う場合は相手を左において進むという原則で、陸上の左側通行の逆です。ここの地理的要因から常に逆ならさほど問題はないのですが、問題は潮流の変更点となります。潮が止まったあと、それまでの右側通行から左側通行に変更するわけで、こうなると当然相手船と交錯しなければなりません。昔からの習わしとのことですが、このような事故が発生している現状を鑑みれば、一刻も早くこの無意味なローカルルールを撤廃すべきではないでしょうか。前回3名、今回2名の人名が失われているわけであり、漫然とこの不合理なルールを続けるべきではないと思います。この奇妙なローカルルールは、いったいどういう理屈に基づいて定められているのでしょうか?ネットで検索した論文には順中逆西のルールについての解説や対応法は見つかりましたが、どういう時代背景のもと、このような世界でも稀な航路が設定されたのかについて詳述している文献は見つかりませんでした。

註)順中逆西は、北向きに進むときに、順、すなわち連れ潮では島側の中水道を通り、逆潮では四国側の西水道を通るということです。海運会社のサイトを見ると、四国に近い西側の航路は東側より屈曲しているので、連れ潮では舵効きが悪くなるので通らせない、というのが理由のようです。しかし戦前の速力の遅く舵の効きが悪かった時代の話しをいつまで引っ張っているのでしょうか。現在の船舶で本当にこの航路が危険なのか検証する必要があると思います。現にこのローカルルールのおかげで死人が出ているのですから、国はその有効性と危険性について検証する義務を負っていると思います。
1/26 このところ寒い、というか冷たい日が続きます。なにせ10年に一度の寒波らしいですから。先日夜帰ろうとしたら車のフロントは雪に覆われ、お湯かけて駐車場から出たのですが、そこでパリパリ凍ってしまい、前方見えず。なんとか通りに出てコスモスさんの駐車場に入れてしばらく暖気運転して溶かしました。このような寒い日はお手軽鍋焼きうどんですね。親鶏の切り身と、ヒガシマルのうどんだしを1/3Pに3倍濃縮の昆布つゆを加えて、市販の惣菜の掻き揚げは半分だけ。忘れてはいけないのは白ネギ。煮立ったところでトラさんで売ってるボチボチ製麺の袋うどん(これが意外によいのです)を入れて上に生たまご載せて、うどんがぽわっと膨らんだ瞬間に火をとめ、最後にとろろ昆布を適量置いていただきます。書いてたら食べたくなってきた。晩はこれかな。
1/22 1月21日の土曜日、山梨県ALS協会主催の講演会にZOOMで講演いたしました。難病患者の呼吸管理がテーマです。患者ご家族や訪問看護の方々を中心に42名の方が視聴されていたようです。質疑応答も熱心で1時半から4時まで充実した講演会になりました。山梨以外の方も何人か(よく知っている方も含め)視聴されていたようです。私は学会のWEB化は反対で、現地に行けないと仕事をせざるをえず、そのためWEB視聴が現実的に不能となり、参加できないからです。もし夜間とか休日にやってくれるのであればWEBでもいいのですが、学会は演題をお聞きするだけでなく、参加者と旧交を暖めるのがとても大事だと思うのです。しかし講演はWEBで大丈夫ですね。なんといっても行き帰りの時間が必要ありません。病院長になってからほとんど出張するような時間がとれず(学会だけは別として)、これまでもお声がけいただいても、お断りすることが多かったのです。でもZOOMなら職場にいながら講演できるのは大きなメリットです。ただZOOMが不安定なのは困りますね。今回も最初の予行演習では声が届かなかったり、共有がうまくいかなかったり、動画が動かなかったりとトラブル続出。冷や汗ものでした。これからもZOOMでの講演でしたらなるべくお受けいたしますので、どうぞお声かけください。
1/18 今週やっと病棟を開放することができました。昨日研究同人とこの間のできごとを検証し、ノンアルでささやかなお祝いをさせていただきました。それは新型コロナの病棟クラスターが昨年末に当院で発生したことです。仕事納めの前日、入院患者の一人が発熱しました。よくある発熱と当初思いましたが、コロナ抗原検査をしたところなんと陽性。全入院患者の抗原検査をしたところ、他に3名陽性が出て、クラスターの発生を知ることになりました。その後40床の病棟のうち、32人入床していましたが、入院患者8名、職員11名の新型コロナ発生事態となりました。とくに看護系職員は10人が次々と発症のため出勤不能となり、ガウンテクニックなどただでさえ看護困難な状態に、人手不足が加わり悲惨な日々となってゆきます。重症化する患者も出ましたが、高次医療機関への転院も不能。しかしこの困難な時期も必ず過去のものになるとの意識で踏ん張り、その結果、多くの知見も得ることができました。それについては今年の学会に発表してゆきたいと考えています。
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謹賀新年

新年明けましておめでとうございます。新型コロナ対策に奮闘中の世界を尻目に、昨年2月から始まったプーチンによるウクライナの戦争も、ウクライナの頑強な抵抗で昨年内には終息せず、新年も持ち越しになりました。頭上に突然ミサイルが降ってくる不安で暮らすなどということが日常になるというシュールな世界が今この世界に現存していることにあらためて驚愕の思いを持ちます。プーチンがヒトラーやスターリンと同列にならぶことになるとは。
チコちゃんの永遠の5歳ではありませんが、小生も永遠の55歳をモットーにここまできました。今年も歳をとらずに頑張りたいと思います。ホントの歳は内緒です。多くの難病の患者さんが頑張って一日一日を乗り越えているのですから、まだまだお休みをとるわけにはまいりません。小生の呼吸管理の方法を習いたいという方も増えていますし、今年も頑張りたいと思います。皆様よろしくお願い申し上げます。今年がよい年になりますように!

 

 

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