2001年12月31日 家庭内蘇生手技の獲得を

2001年最後の日を年末勤務で病院に出た私を待っていたのは、Hさんが昨夜心停止で来院し、救命センターに直送したが蘇生できなかったという報告であった。Hさんは、もう10年以上診させてもらっていた50歳を少しすぎた女性患者さんである。子供のときの脊椎カリエスでひどい胸郭変形があり、慢性の呼吸不全を持っておられた。いつも盆と正月に悪くなるので、忙しいのがいけないのかなあなどと言っていたが、原因は、盆と正月に田舎に帰って食べる宴会食だった。普段は厳重な塩分制限を行っていたが、田舎に帰るとそれが崩れるのだ。つい先日外来でお会いして、調子いいから年末から田舎帰るのよ、酸素の方も業者が手配してくれるからということを話されたばかりだった。当日、夜から少しだるいと言われ、心配したご主人が、病院に行くかと聞くが、早く休むからいいという返事だったようだ。午後11時ころ容態悪化。ただごとならぬと思ったご主人がタクシーを呼んで一緒に病院に向かうが、途中で声がきこえなくなったという。病院に着いたとき、心停止で瞳孔も開きかけていた。ただちに当直医による心マをしながらすぐ近くの救命センターに搬送したが、蘇生できなかった。何年か前、似たことがあった。気管支拡張症で慢性呼吸不全があった40代の主婦のIさんが、出先で容態が急に悪くなり、ご主人の運転する車で病院に向かったが、道路が混んでおりなかなか着かない。娘さんが「お母さん、息をして!」と励ますが、病院に着いたときは心停止であり、やはり蘇生できなかった。家族の方を批判する気は毛頭ない。家族の者が一緒にいて、このような事態になったとき、励ますしかできないというのはわが国の現状なのだ。だけど、何か出来ないだろうか。せめて呼吸が止まったら、口対口の人工呼吸が出来ないだろうか。会社のなかで、あるいは往来で、誰か倒れても、救急車を呼ぶということくらいしかせずに、こわごわ回りで見ているというのもこの国では普通の風景である。緊急を要する蘇生処置というのは、専門家しか出来ないようにわが国では思われているのだ。そういうことではいけない、会社で誰か倒れたら、ながめてないで人工呼吸をしようという講習会を、産業医に出ている会社で、数年前行ったことがある。Tさんという同年輩の安全衛生担当課長さんが熱心で、そのような場を設けてくれた。そのT課長が、一年後、深夜家で倒れた。家族が救急車を呼び、救命センターに搬送されたが助からなかった。まだ小さな3人の子供さんが座っていた通夜の席が悲しかった。全国規模でみるならば、おそらく私が関わったこの3件の何千倍、何万倍の事例が起こっているはずである。家族の誰かが倒れたとき、救うことができるか。あるいは救う術を知っているか。私が診ている難病患者さんらは、むしろ初期において、いつ呼吸が止まるかどうかわからないという不安定な時期を迎える。家族にはアンビューバックを用意してもらい、緊急時の対応について実技を含めて教育している。そして、救急車が来るまで、家族の頑張りで助かった患者さんも現実に存在する。このような確実な危険が予想されたとき、むしろ対応は可能なのである。でもそのようなことが想像もできないとき、本当の危険は実は存在しているのだ。中学生の時点で、義務教育として、国民全てが蘇生処置を習うこと。これを行うことによって、少なからざる人が助けられ、その後の人生を楽しむことができるようになるのではないかと思う。

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