2002年2月15日 難病の告知について考える 

昨年末、ある若いALS患者さんが1ヶ月の在宅をされた。その在宅が終わる前に、主治医の私や、訪看そしてヘルパーの方々も招いてホームパーティをしたいという話があった。彼はまだ45歳。1年前に発症し、現在はバイパップタイプの呼吸補助装置を常時つけ、かろうじて支え立ちが出来るが、手は使えないという状態である。パーティは、彼の在宅を支えてくれた、地元の病院の訪問看護婦の皆さんやヘルパー諸姉の手作りの料理がならび、それは楽しいひとときであった。彼と、彼の一時的な在宅を受け入れてくれた彼女とは、婚姻関係にはない。つきあいはもう10年の長さとなり、彼女の長男が就職したら、籍を入れようと約束していたという。その夢があと少しで達成しそうなときに、彼がALSと診断された。彼は、当初は闘病に積極的で、胃瘻も早くつくり、気切も早めに受けると言われていたが、ある時期から、もう気切はしないと明言されるようになった。その理由について、先が永すぎるから、とだけ彼は答えた。でもそのパーティに出て、その意味が少し深いところで分かったような気がした。重度の神経難病の介護は、家族にとって過大な負担となるのは、介護保険が出来て、各種のサービスが運営されるようになった現在においても変わるものではない。私も、多くの難病患者さんの在宅をサポートして、いつもご家族の皆さんの苦労に頭が下がる思いである。彼女の方も、彼が難病であるとわかってから、親族や、周囲の方々からのいろんなサジェスションに思い悩む日々があったに違いない。私たちにも、正直、悩む、とうち明けられてもいた。その二人がホームパーティのなかで、寄り添うように座り、お互いを気遣う姿をみて、普通の夫婦以上の深い結びつきを感じたのは私だけではないだろう。彼は、おそらく、永すぎる未来は捨てることによって、限定された生ある間の彼女との充実した生活を選んだのだ。哀しい選択であるが、そこに彼の覚悟と真摯さを見た思いがした。

パーティ終了時での彼の挨拶のなかに、そのようなことを意味する言葉を見つけていたのだが、そのお話のなかで、ある事柄に医療者としてひっかかった。それは、診断がつくまでの長い入院がもったいなかった。治らないなら早く退院させてほしかった。退院して好きなことを悔いの残らないよう十分にしておきたかった、というものである。その入院は、県内の基幹病院でのことであったが、半年以上におよんだという。その間目に見えて筋力が落ちていき、その結果診断も明らかになっていくのだが、本人にとっては、この期間が無為になったと恨めしいのである。そうであろう。改善しうる疾患ではない以上、最後の自由な時間であったはずなのだから。もちろん医療者の側からみて、難病の診断はとても難しく、治療しうる疾患の可能性もあるのだから、拙速には診断は下しえない、という反論は当然成立するであろう。ただ、こちらも医療者の側として、それも診断のついた難病患者さんと付き合っている側からいえば、そうは言っても、精密な最終診断よりかなり前に、ある程度の判断はつくだろう、少なくとも治療しうる少ない疾患との鑑別はかなり早期に出せるでしょうと言いたくもなる。

難病告知は難しいとされる。癌より難しいともよく言われる。一縷かそれ以上の望みのある癌、あるいは死が全てを救ってくれる癌に比べて、苦痛多い永い生か、あるいは自らの意思での死かという選択を突きつけられる神経難病は、どんなに苦しくても時間が解決してくれないのだ。あまり早い段階の告知は、その人の希望を奪い、むしろ自殺に追いやるだけだという意見がある。その一方で、はたから見ると機械的に、診断がついたら、即告知。それも最重症の状態を、軽症の患者に示すという告知の態度も存在する。呼吸管理を含めた難病患者のサポートという私の仕事からは、この告知という問題に関わることは少ない。すでに告知され、それなりに覚悟が出来た患者さんとのお付き合いということになるからだ。ただ、最近、こういう事例があった。ある50代の男性患者の場合である。彼はまだ身体が動く状態で告知を受けた。建設業のワンマン経営者であった彼は、絶望的な言葉をはいて妻を困らせた。あるとき、自分で車を運転して海に飛び込もうと思うに到った。やっとの思いで抱え込むようにハンドルをとり、ひとり深夜の国道を走り、フェリー乗り場の岸壁に着いた。海釣りが好きで、クルーザーも持ち、何度も沖に漕ぎ出した海がそこにあったが、その海は暗く、あと一歩のところで飛び込む「勇気」が出せなかった。あの時死ねなかったのは自分の責任なんだから、これからの闘病を頑張るという決意がその後生まれたと彼ははにかみながら教えてくれた。

神経難病の生を永らえていくというのは、こういう決意がないとやはりつらい。告知されることによって、この決意も生まれてくるのだと思う。ただ、患者さんの話を聞くと、いきなり全く動けなくなりますよ、人工呼吸器をつけないと死にますよ、と言われて大変なショックだったという方が多いようにも思う。このことは間違っているわけではないが、軽症から重症に進展するのには、人によってさまざまな経過があると思う。筋力低下は著しいが、もう7年も呼吸器を使わずに在宅療養できている人もいれば、2年くらいで呼吸器管理が必要になる人もいる。そして、その時間の差というのはときに絶対的に大きな意味をもちうる。告知の際に、このことは是非付け加えておいてほしい。最近では、インフォームドコンセントの概念が持ち込まれ、基本的には難病も告知をするというコンセンサスになってきていると思う。ただ、患者さんにとっては告知後の生をどう生きるかという選択と決意をしうる告知の質が必要だと思う。逆説的になるが、患者さんは自ら死を選ぶ権利もあるはずであるし、それを選ばなかったという自覚があることが、その後の生も積極的に生きうるようになるのだと思うからだ。難病の告知にあたって、この病気の進行には個人差があること、しかし楽観できない経過が待っていること、病状の進行に応じて、各種のサポートが受けうることをきちんと話しておいてもらいたい。そしてシンパシィを持ってサポートする多くの医療者、介護者が存在することも是非伝えてほしい。

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