2003年5月1日 気切をいつすべきか

多くのALSの患者さんとおつきあいしていると、人工呼吸器拒否という方が出てくる。とくに緩徐に進行する病態を持つ方、あえて言うならそういう女性の患者にこういう主張をされる方が多いように感ずる。NIPPVによる呼吸補助などの受け入れはしていただけても、気切は人工呼吸とほぼ同等のイメージを持たれていて、絶対拒否。呼吸困難に陥って、気切が必要とお話ししても、気切は拒否し、苦しいから早く意識をとってくれと頼まれたりすることさえある。そういう状況に何度か遭遇した経験から、敢えて言わしていただきたい。気切は早めにしてほしい、これは人工呼吸とは違うと。 

ALSは呼吸を奪う。それもある時点で急に呼吸が出来なくなるというようなことは大量の誤嚥でもしないかぎり起こらず、むしろ痰がスムーズに出せなくなって苦しくなるが、痰が取れるとまたしばらく楽になるというような状態を繰り返すようになる。そしてこのあたりからが地獄の始まりとなる。たいていは家庭では対処できず、救急車に乗って緊急入院となるが、入院したからといって状況が変わるわけではない。何十分もかけてバイブレーターかけて、タッピングをして、やっと少しずつ痰が上がってきて、口や鼻から差し入れた吸引チューブで痰がとれて一段落。これを一日数回繰り返すことになる。もちろん夜間にも起こるので患者さんもつらいが、看護職も夜間の少ない人数で長時間かかりっきりになってしまう。そのうちに熱発して、レントゲンを撮ってみると、肺の一部が無気肺になっていたり、肺炎を起こしていたりしている。この無気肺がくせものなのである。ひとたび無気肺を形成してしまうと、人工呼吸にでも移行しない限りなかなか解消しない。そして、そこから容易に肺炎を再発させてしまうようになる。そのような状態になると、例え呼吸器をつけることになっても、既に組織が破壊されてしまっていて、細菌の巣の状態のまま、最終的には切除しない限り、繰り返す熱発の原因になってしまうことも多いのだ。 

そこで私は、ALS患者の皆さんやご家族の方々に是非聞いてもらいたいと思う。気切と人工呼吸器とはイコールではないのだ、ということを。上記のような状態に陥ったとき、もし気切孔があれば、すぐに痰を吸引してあげることができる。そうすれば、肺炎や無気肺になることもずっと少なくなるはずである。気切をすると声を奪われるという心配を持たれる方もいる。これもイコールではない。バイパップをされていたある患者さんは、大量の誤嚥のため、緊急気管内挿管が必要であった。まさに生死を分ける一瞬であった。緊急時を乗り切って、抜管した患者さんとよくお話して、気管切開を受けてもらった。そのときその患者さんとの約束が、気切しても声を出せるように必ずする、というものであった。この方は、それまで経鼻マスクでバイパップを受けておられた。気管切開後の管理について、いくつかのパターンを考えてみた。@気管カニューレ(ボーカレードタイプ)の側孔からエアを通して発声する。この方法は、球麻痺のきていない、気切下人工呼吸となっているALSの患者さんに有効な方法である。呼吸筋力が低下して自力では呼吸が出来なくなっている患者さんには、これが最も安全で確実な方法であると考えている。エアラインに一方向弁を挿入して呼気を喉頭に流すのは極めて危険であると私は考えている。しかし、バイパップをしているとはいえ、自発呼吸しながら、呼吸とは関係のない定常流で発声するというのは難しそうであった。また、なかなか大きな声が出せず、患者さんは大変もどかしい様子であった。Aバイパップは気管カニューレに接続するが、気管カニューレのカフを閉じて呼気を喉頭に導き発声させるという方法も試した。しかしこの方法を試してみると、呼気の多くは気管カニューレを通ってコネクタのリーク孔から出ていくようで、声が出るには出るが、一生懸命努力してもごく小さい、かすれたような声しか出ないことがわかった。B気管カニューレ経由ではなく、気管カニューレは普段は蓋をして塞いでおき、以前同様に鼻マスクでバイパップを行ってみた。気管カニューレが気管での空気の流れを阻害しないように、高研のカフなし外筒穴あき式を使い、入り口に蓋をした。そうすると、以前同様にしっかり声が出せた。思わずまわりにいた私や看護師、家族から拍手が出た。私たちは、鼻マスクがうっとうしいかなと思って、気管カニューレを使った発声をいろいろ考えていたのだが、患者さんにとっては以前同様の方法が、生理的にも正常の空気の流れであるためか、最もしっくりいくということだった。痰がたまれば気管カニューレの蓋を外してそこから吸引できる。今後の危険回避になるし、もし呼吸筋力が落ちて人工呼吸管理に移行するにしても、カフ付きのカニューレに入れ替えるだけで、すぐに対応可能である。つまり極めて安全で、リスクに強い状態となる。

 これまで、気管切開は、どうしても呼吸停止や誤嚥による窒息など、緊急事態を受けて、やむなく行う、というイメージが強かった。患者さんにとっても、気管切開イコール人工呼吸器、声も出せないという、最終段階という悲愴なイメージであったと思う。でも今、私たちはそう思っていない。無用な苦しみを避け、QOLを落とさない、積極的な闘病スタイルになりうると思っている。まだ実証できたわけではないが、積極的に気切を行うことによって、肺炎や無気肺を防止し、人工呼吸器移行も遅らせることもありえるのではないかと考えている。痰の喀出が困難な状況が始まったら、早めに気切を受けてもらいたいと思う。医療者の側は、早めの気切に対し、ADLやQOLを落とさないよう注意して医療、看護にあたるべきであろう。 

最後に、気管切開を行わせるのであれば、人工呼吸器は有無を言わさずさせているのか、という疑問をお持ちの方もいるだろう。私たちは、先に言った通り、気切と人工呼吸器はイコールではないと考えている。あくまで人工呼吸器を拒否されるならば、それを無視して装着するつもりはないことを書き添えておきたい。

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