BACK

コラムリストへ

2005年6月18日 安全性と制御

一挙に百人以上の死者が出る交通災害といえば、まず飛行機事故であるが、それなみの災害をもたらしたJR西・福知山線脱線転覆衝突事故は、その規模といい、脱線原因のシンプルさといい、長く記憶されるべき事件となるだろう。簡単に言えば、カーブを曲がりきれなかった事故であり、クルマでは日常茶飯事のことだ。それが軌道上でも起こりうるということを改めて教えてくれた。もちろん単なる若者の無謀運転ではなく、プロの運転手による営業運転での事故であるから、なぜ?ということが第一に問題になるし、その答えはいまだ明らかではないように思う。傍証的には、運転手としての資質を問われている状態でさらにミスを重ね、それを糊塗しようとして暴走したというのがもっともらしいが、直線区間からカーブに移るところで失神したという可能性だってなくはない。そもそもオーバーランというが、そんなに電車というのは止めるの難しいのか。たとえばクルマであれば、われわれアマチュアであっても誤差20cmくらいで止めれる。でないと追突続出である。1mとか2mとかの誤差ならわからなくもないが、40mや60mというオーバーランは、一体どうやったら起こるのか。それほど電車のブレーキとはプアな設計なのか。営業運転の電車であるから、静かに止めねば乗客が倒れるというのはあるだろう。にしてもそこに駅があるということは初めて走る道ではあるまいし、そのような距離の誤差を出すということが実感として不思議としかいいようがない。そこで運転手が、一瞬の失神を繰り返すような疾患を持っていたとするとそういうことは実に自然な現象に見えてくるのだが。だからまだ真実は確定していないと思うのだ。別に突飛なことを言っているわけではない。バスの運転手が突然の心発作に襲われ運転不能になって事故を起こすことは稀とまではいえないし、新幹線運転手のSAS(睡眠時無呼吸症候群)が問題にされた(20032月)こともある。私が以前勤務していたこともある宿毛市で最近生じた鉄道事故(駅への突っ込み,20053月)は、なんらかの原因による運転手の意識消失が原因だろうと推定されている。人が制御するというのは、その人自体が制御不能になるという脆弱性を本質的に有しているということなのだ。

ところで、そのような事故に対する対策として、ATSを強化するというシステムで補強しようという考えが主流である。今回も旧式のATSをバージョンアップせずに使っていたから事故が起こったと説明されている。直線で120キロ出しても、カーブに入る前に70キロに落ちていなかったら強制的にブレーキをかけるということだ。確かにつねに制御がうまくいくという前提に立てば、かなり安全になるだろう。だが、システムというのはそんなにソリッドではない。例えば運転手がアラームがうるさいからしばらくATSを切ってしまえとなったらどうなる(病院ではよくある)。ATSの誤作動や電気的誤作動による一時的な停止もあるかもしれない。自動操縦装置と人が相反する行動をとってしまって結局落ちた飛行機だってある。1994年の名古屋空港における中華航空機事故である。様々な制御機構が揃っていたはずの最新型のエアバスA300が、人である操縦士の行動まで制御できずに、あるいは人が制御装置を制御できずに墜ちてしまった。システムの安全性というものは、単に機械がエラーを起こす確率だけでなく、それを操作する人との関連で生じるエラーも含めて考えねばならない。そのあたりのリスクの計算をしてみて事実上現実には起こりえないというような安全性を確保するという必要があるのだ。

では、もっとも安全な電車事故対策とは何か。それはスピードが出ない電車にしてしまうことだ。その路線の最も深いカーブを安全に曲がれるスピードまでしか出ない電車にしてしまえば、少なくともカーブを曲がりきれないで転覆するような事故は絶対に発生しない。するとATSもいらない。運転士が目一杯スロットルを押してもそこまでしか出ない仕組みであればよい。全ての制御を張り巡らして限界近い速度で走る緊張感の高い安全を保つより、最初から制御をする必要もないゆるいシステムにする方が格段に安全性が高いと言えるのだ。

この間、エンジニアと自動吸引装置の開発を行ってきて、エンジニア特有のものの考え方を垣間見たように感じている。かなり我々医者と違う思考法なのである。それは何かというと、この制御しきることがベストという考え方のようなのだ。常にモニタリングしてそれを最適値となるよう制御したい。それが完璧に出来るのが最もよいシステムという考え方のように感じた。我々の最初の自動吸引装置というものは、この制御の塊りであった。常に気道内圧をモニタし、それが上がったら痰があると判断し、試験吸引をかける。試験吸引で吸引圧をモニタし、それが上がってくるようなら空撃ちではなく痰があると判断し、本吸引に入る。本吸引もモニタし、吸引圧が下がってきたら痰は引き終えたと考え、吸引器を止める。ざっとこんな動作であった。一見万全なシステムに見える。確かに実験装置ではうまくいく。24時間連続稼動させても破綻しない。しかし、実際に臨床試験をやってみるとたちどころにほころびが出てしまう。まず、気道内圧のモニタをすると、少しでも自発やむせ動作が残っている患者は、そのつどトリガーが引かれ試験吸引がオンとなる。試験吸引動作がさらにむせを呼び、下手をするとオートトリガーの状態となって試験吸引が入りまくりとなる。また、気道内圧は痰がないときは常に一定というわけではない。臥位と側臥位では変化する。患者の体交をするたびに試験吸引が入ることになる。我々の自動吸引器の開発において、臨床試験が重要であったのは、このようなことが事前になかなか分からないからである。生身の体はマネキンとは違うのである。

しかし、私たちは、なんとかそのジレンマから脱出することができた。それは、例えて言えば電車のスピードを落とすという方法論を見つけることができたからだ。それがローラーポンプによる常時吸引というシステムなのである。したがって制御するということを一切しなくてすむようになった。制御に制御を重ねるという方法は、一見先端を走っているようにみえるが、システム自体は、どこかの制御がくるうと暴走する危険をはらむ。その点、スピードの出ない電車は絶対に脱線しない安全性がある。この方法を見出すことが出来たのが、我々の研究の最大のアドバンテージだと思う。

もう一つ安全についての考えを記しておくと、例えばある治療を行って危険が生じる可能性が一日あたり10万分の1というレベルであるとする。目のとどく23人を対象にその治療を行うのなら安全と言える。しかし、1000人が使うとすると、1年間で36件の事故が確実に起こるということになる。研究的に目の前の患者だけに工夫するということと、多くの一般患者に用いるということはその求められる安全性の尺度が違うということだ。そこで制御という方法論に立った場合、この危険率10万分の1よりさらに小さい危険性に止めることができるかということになるのだ。我々はあくまで日本中の在宅患者が用いることを前提に考えなければならない。医師や看護師の目の届かないところで、間違いが起こらず、きちんと痰をとる、そういうシステムが目標なのである。