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2007年8月13日 平川プレート販売開始にあたり

私がALSの医療を開始して何年かたち、最初の在宅を目指す集団が当院に転院してきたとき、そのうち一名が転院直前にカニューレのジョイント外れ事故で低酸素脳症を起こしていました。それまでも、何度か入院中の患者であわやということがあり、水道のホースにさえロックがつけられるのに、なぜ人の命にかかわる人工呼吸器の管に安全のためのロックがないのだと、やりきれない怒りを感じたものです。自動喀痰吸引装置の開発で知り合ったいくつかのカニューレメーカーの担当者の方のお話しを伺うと、一つはISOの基準どうりに作る必要があり、それ以外の構造をつくると基準違反になる、とか、基準外のものを作って基準品と合わないとそれこそ責任を問われる、さらには、基準内なら事故が起こっても自社の責任は問われないなどという意見さえありました。ISO基準とはさほどに絶対的なものなのでしょうか。以前、経管栄養チューブのコネクタと、点滴のコネクタが同径で、経管栄養を点滴に流し込んで死亡事故が立て続けに起こるということがありました。このときは厚生省がイニシアチブをとり、業界団体に対策を求め、経管栄養チューブの口径と色を点滴と変えるという対策をとっています。ISO違反を承知でです。気管カニューレではなぜ積極的な安全対策ができないのでしょうか。なぜ、行政の側に問題が深刻に捉えられてこなかったのでしょうか。栄養剤と違い、間違ってつながれる心配はないからでしょうか。きちんとケアしていたら絶対に外れないはずだという認識なのでしょうか。

気管カニューレの外れ事故は、本来ICUなどで衆人環視のもとにある重症患者に用いる器具が、一般病室にもちこまれたことから来たといえます。わが国には長期人工呼吸管理を受けている患者はとても多く、2004年のデータでは、全国の国立病院で長期人工呼吸管理が2055例存在したという報告があります(注1)。うちALS410例となっています。少し古いですが2001年の別のデータでは、全国の病院入院での気切呼吸管理は5800例とされています(注2)。在宅人工呼吸では、同じく2001年のデータで、気切人工呼吸が2500例という推計値が出されています(注2)。すなわち2001年時点において、全気切人工呼吸患者数は、8300例となります。このなかでどのくらいの事故が発生しているのでしょうか。国立病院の集計では、2001年度に11件の人工呼吸器事故が発生し、その大半はカニューレの外れ事故で、7名死亡、2名意識不明とされています(新聞記事より)。2名の意識不明というのは、低酸素脳症によるものですから回復の可能性はまずなく、当院に転院された事故の患者と同様の状態でしょう。国立病院のデータ2055例で推測すれば、一年で約0.4%の患者が事故で亡くなる(あるいはそれに匹敵する事故)という高いリスクが示されているわけです。ある器具を使用する患者の0.4%が一年間で事故のため亡くなるという事態が今も放置されているのです。2001年の全気切人工呼吸患者数8300が今も同じ数だと仮定しても、現在も毎年30人の長期人工呼吸患者が事故で死亡している可能性があるのです。毎年毎年この種の事故が何度も報道されるのも当然なのです。また、決しておろそかなケアにのみ、カニューレ外れが発生するのではありません。呼吸管は常時吸気、呼気の変換のため振動がかかります。その振動はカニューレの接続部にもかかり、これが接続を緩める作用をもたらすのです。工業製品ならダブルナットを噛ますなど、かならず緩み対策をする部分です。しかし命を支える医療器具には緩み防止の仕組みさえないのです。医療器具開発者の感覚からすると、仮に現在この器具を新規に申請することになった場合、当局から安全性に問題ありとして絶対に認可されないという自信?があります。

人が死に続けているこの実態に焦らない行政当局の肝の太さには脱帽ですが、患者さん個人や、ご家族の方の心労は大変なものです。まだ在宅は自分の目があるが、入院が心配という方も多いでしょう。入院というのは、常時看護師の目があるのではなく、ときどき看護師の目があることにすぎないのですから。そしてこの不条理に自らの努力で立ち向かおうとされた方が私の近くに出現しました。それが大分県佐伯市の平川親(ひらかわ・ちかし)さんです。妻がALSにかかり昨年11月ついに気切人工呼吸となりました。呼吸困難からは逃れられたものの、何度か実際にカニューレの予期せぬ外れを経験して、今度はカニューレの接続がいつ外れるかという恐怖にさいなまれることになったのです。それをなんとか工夫できないかと、彼はベッドサイドでずっと考えていたそうです。そして、頭にひらめいたものをアクリル板を加工して作ってみた。彼は以前から手工芸の趣味があり、そのような技術と工具を持っていたことが幸運でした。そしてそれを見た長門記念病院の副院長であり、神経内科の名医、三宮邦裕Drがこれは素晴らしいと感動された。そして私に教えてくれたのです。ロックばかり考えていた私も、目からうろこが落ちる思いでした。私もつきあいのあるカニューレメーカーに製作をすすめましたが、平川プレート自体の製造は、採算から困難という結論となりました。それなら、自分たちで作ってみようじゃないか。私はとりあえず自分が診ている入院人工呼吸患者全員に事故防止のためこれを装着するようにして、平川さんに30枚作ってもらいました。手作業で作るのでこれは大変だったようです。といって型をつくってプレス製造すると、型の製造に数十万かかってしまうようです。確かにこれでは採算の目処などたちません。そのとき、ある友人からNC加工という手があると教えてもらいました。NC加工とは、Numerical Control(数値制御) machiningということで、コンピュータに座標を打ち込んで、その通り材質を切断するという工程です。これなら少量生産も可能になりますし、型をつくるというイニシャルコストも不要になります。大分県にもこの工程を持つ会社があり、そこの営業の方と相談して、とりあえず一枚3000円で作ってもらえることになりました。平川さんも、自分たちが安心できるようになった器具を皆さんに使ってもらえるのなら嬉しいということで、この度採算度外視で全国に頒布しようということになったわけです。採算度外視といっても売るたびに赤字が出ては継続困難に陥りますから、一応続けられる程度の費用は考えています。

さて、この平川プレートは、特許などを申請しておりません。類似特許の提出状態に関してはチェックしていますが、現時点でそのようなものはないようです。では、なぜ申請しないかというと、カニューレをゴムで縛るということは、これまでも現場で行われてきた既存の知見であるということもありますが、カニューレメーカーに、気管カニューレ自体にこの機構を取り入れてほしいというのが実は最大の理由なのです。現在カニューレに平川プレートを取り付けるというのがやや煩雑なのですが、最初からカニューレに圧着ゴムが取り付けられていたら、その煩雑ささえなくなります。またカニューレは交換するものですから、ゴムの耐久性も問題なくなります。平川プレートと同じ仕組みでなくても、カニューレに安全性を高める対策をしないと市場に受け入れられないという時代が来るきっかけとなれば幸いであると思っています。そのため平川プレートは、特許申請を行わず、公開知見としました。この器具のもたらす利益を広く社会で共有したいというのが私たちからの願いでもあるのです。

 注1:多田羅勝義, 石川悠加, 今井尚志, 神野進, 西間三馨, 福永秀敏:国立病院機構施設における長期人工呼吸の実態調査.医療59(8)427-4322005

注2:石原英樹,木村謙太郎,縣俊彦:在宅呼吸ケアの現状と課題−平成13年度全国アンケート調査報告−.平成13年度研究報告書,厚生省特定疾患呼吸不全研究班,2002pp68~71