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2009年4月14日 難局を戦うとは

山本七平の「日本はなぜ敗れるのか」、という角川書店の新書があります。山本七平といえば、イザヤ・ベンダサンのペンネームで書かれた「日本人とユダヤ人」の作者としてつとに有名です。高校時代にこれを読み、それなりに感銘を受けた記憶があります。昨年11月にこれを本屋で見つけて、イギリスに行く飛行機の中で退屈しのぎにしようと購入しました。旅先のバーミンガムの宿屋や、往復の機内で読んだりしましたが、途中で放り出していました。最近カバンから出てきて残りを読むことになりました。それでやっとカバーに書かれていた言葉の意味がわかりました。カバーには、『奥田碩会長が「ぜひ読むように」とトヨタ幹部に薦めた本』と記されていたのです。

トヨタは実は昔からあまり好きなメーカーではなく、私がこれまで乗ってきたクルマもトヨタはありません。ホンダ、いすず、スバル、三菱とか、マツダとかばかりです。一度VWも乗っていました。今でこそトヨタのクルマの出来の良さと言われていますが、ふた昔前は、ステアリングはフニャフニャ、足はグラグラというとんでもない走行性能で、学生ラリーをかじったり、CG(カーグラです。コンピュータグラフィックじゃないですよ)のポール・フレールの記事を読んで啓蒙されていたような私にとってとても選べるものではありませんでした。ちなみに1977年頃の西日本の医学部学生ラリー大会にドライバーとして一度出ましたが、コース記載にミスがあり、明け方にレース中止になってしまいました。最近大分県南の神経内科のDrと飲んでいたら、そのレース、僕も出てました、と言われてお互い感激したことがありました。

あの太平洋戦争については、人の命(それも自国の兵の)をなんとも考えない指導部の出鱈目極まりない作戦で、補給も考えないで自滅しただけの馬鹿な戦いと認識していました。それなりに補給も考えられていた日露戦争のころの戦略さえない精神論だけで戦おうとした威張るだけで中身のない指導部に率いられた知的レベルの低い軍隊であったと。当時医学生であった父は招集されずにすみましたが、既に医者となっていた二人の姉の配偶者が、軍医となって帰ってこれなかったというのが我が家系に永遠に残された怨念でもあります。名誉の戦死と讃えられたその実態は、ジャングルの中で餓死したり、飢えた味方に襲われ食われたなどという悲惨なものだったということもあるのです。その本の前半もそのことを、これでもか、これでもかと実例を挙げて論証しています。そういう認識は私にも既にありましたから、とくに感銘するわけでもなく途中で半年放置していたのですが、後半を読み始め、その最後の部分で、もっともっと悲しいくらいにわが国の軍のレベルの低さを思い知らされました。

フィリピンで、多くの日本兵が山野を敗走し、あるいは食料もなく彷徨い、人が人を食うなどの状況が発生したことはよく知られています。それは戦い敗れて逃げるというのはそういうもんだ、というように理解していました。むしろ敗れるような戦いを行った戦略性のなさが生んだ必然だと。しかし、そのような状況にあって、日本兵のなかに助かった一群がいたのだと。それはなぜ助かったかというと、米軍の残していったジャングルの秘密キャンプに辿り着いたからだというのです。あのフィリピンで敗走したのは、ひとり日本軍だけではありません。戦争の初期において、敗走したのは米軍でした。マッカーサーは有名なI shall returnと言ってフィリピンから脱出し、あるいは手製のヨットでオーストラリアまで逃れた空軍の将校の手記なども読んだことがありましたが、もちろん多くの残された米軍兵がいたのです。彼らはフィリピンの原野を開墾し、広大な畑を作り、芋、トマト、砂糖黍を作っていた。雨露をしのぐ巨大なキャンプ施設を作ってゲリラ戦の拠点を作っていたというのです。彼らはそこで3年耐え、米軍の再上陸で、キャンプを放棄し、本隊に合流し、そこを捨てた。そしてそこに幸いにも辿り着いた日本兵は、飢えから救われたというのです。多くの戦記から、当時の米軍は、3週間前線で頑張ったら4週間後方にまわって休暇を与えるとか、乗機が撃墜されたら潜水艦や水上艇で探しにくるとか、妙に人道的な軍隊だなという感想を持ってきましたが、この敗走においても組織的に抵抗拠点を作るという構想力と実践力の確かさに、心から完敗したという気分です。本当の戦いとは、ここまで徹底しなければならないんだなあと。そしてあの大トヨタといえども、奢って旧日本軍になってはならないという会長の戒めだったのだろうと思います。昨年からの国際経済破綻のなかで、今トヨタも必死で戦っているのでしょう。

私たちもこの大分で小なりといえども30年頑張ってきました。この医療を残したい、という実績もそれなりに積むことが出来たと思います。しかし、その思いは、単に希望や気分ではなく、苦しくともその仕事を続けるという確かな計画とその実践がなければ駄目だと今考えさせられます。普通に仕事をしているだけで、それなりに利益を残せた過去と違い、一年必死に働いてもともすれば赤字の決算に陥る苦しい状況となって、そのことの責任を痛感する今日このごろです。