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2009年5月21日 海面上昇と報道姿勢

この冬の報道ステーション(テレビ朝日)で、ベネチアの海面が上昇している映像を見せ、地球温暖化による海水面上昇の影響でしょうか、などと中途半端なコメントをしていた。他の番組であるが、先日もツバル島の海面上昇について、地球温暖化による海面上昇が原因であるかのような報道ぶりがあった。本当にそうか。

報道ステーションが、原因として地球温暖化をにおわすような報道していた同じ日のCNNニュースは、同じ現象について、イタリア南部で南の強風が吹いて、アドリア海の最奥であるベネチアの海面上昇が生じていると報じていた。風がもたらした局地的な現象というわけである。その風が、地球温暖化が原因なのだと言われるのなら考え込まざるを得ないが、そんなことはないだろう。ベネチアはこれまで何度も有名なサンマルコ広場が水没したが、海面上昇によって毎日水没しているということはない。これは地形と風がもたらした自然現象に過ぎない。海面上昇を、即地球温暖化に結びつけ、おそらくニュースを作る者も分っているくせに、わざと地球温暖化というと耳目を引くだろうとしてこの言葉を、ただしあとで批判されないよう曖昧に用いる。それは報道するという意味において正しいことなのか。

何年か前、某国営放送局の地方局のディレクターから、自局の報道姿勢はどうかと聞かれたとき、台風報道のときに、たいしたこともない水溜りにカメラを限りなく近づけアップで撮るようなことは良くないのではないかと指摘したことがある。ヨット乗りの端くれとして、台風報道には大変注目しているので、各社見回すのだが、どうもそういう変にデフォルメした映像はこの局が一番極端だと感じていたからだ。迫力のある画をとってこい、と言われたカメラマンが苦しまぎれに撮ってくるのだろうか。

さて、ヨット乗りの端くれとしてこの20年くらい、大分の海面は見てきたつもりだが、有意な海面変化を認識できないでいる。もちろん潮位の変化は日内変化、季節変化、台風による変化などがあるが、通常時の最大潮位は特段の変化はない。しかしツバルにはあるという。海面上昇というのは大分では起こらず、ツバルだけで起こる現象なのであろうか。そういう局地的現象は、ベネチアの例のように原因が局地的であるのではないか。もしツバルのみに海面上昇が生じているのなら、それは海面が上昇しているのではなく、ツバルが地盤沈下していると考えたほうが普通ではないか。珊瑚礁は通常地盤沈下していることが多く、ために珊瑚礁は積み重なり、その後の地盤上昇で、雄大な石灰岩山塊を作ることはよく知られている。桂林が有名だが、ここ大分でも耶馬渓や津久見の石灰山がそれにあたる。もしツバルの水没が地球規模の海面上昇であるなら、私たちの大分でも海面上昇が生じ、ヨットの係留にも支障を来たすのが当然のはずである。

いや、ツバルの水没は、地球温暖化による海面上昇とまでは言っていない、と放送局は言うかもしれない。これは来るべき海面上昇のシュミレーションみたいなものとして放送したのだと言い訳をするかもしれない。それはおかしい。海面上昇がセンセーショナルだとしても、地球温暖化のせいではないとはっきり報道するのが報道という立場の務めではないのだろうか。あまり面白くなくても真実を伝え、いたずらに騒がないという姿勢が、たとえばCNNに比べても日本の放送局はあまりに乏しいのではないかと思う。これは恥ずかしいことだ。

海面上昇の問題で最後に一つ付け加えれば、諫早干拓は決して水害防止に有効とはならない、ということである。どんな大量降雨があっても、海面は上昇したりしない。台風のときに上昇するのは、気圧が下がるからである。降雨による海面上昇などはないのだ。したがって、陸に降った水は素直に海に流すのが一番水害を予防できるはずである。諫早干拓は、広大な干潟を潰し、淡水化したが、確かに土地は増やせたとはいえ、これが地元市民への説明である諫早大水害の防止策などには絶対なりえないことは、上記からみても明らかである。あの水害は、大量の降雨により大増水した河川の水が、橋に流木などが引っかかりうまく海に流れなくなり市街地に流入したことはきちんと記録されているではないか。流す対策をきちんとするなら水害対策であるが、干拓をするのが対策などとはひっくり返っても言えないはずなのである。それはむしろ逆の要素になってしまう。しかし農水省や政治家はそう強弁するのだ。そしてそれを報道はきちんと検証して批判するようなことが出来ていない。そのため地元住民と、有明海漁民の利害対立が起こるような不毛な事態が発生するのである。たしかにマスコミは学者ではないかもしれない。しかし、きちんと科学的事実を追及し、科学的に正しいと判断できたことを報道することはできるはずだ。私はそれがマスコミの存在価値ではないかと思う。いたずらに、それも科学的根拠もないことをセンセーショナルに報道することは間違っているとこれは明確に思う。それは扇動であるからだ。