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2009年7月16日 臓器移植改正法案成立に思う

臓器移植改正法案参議院可決成立となった。衆議院で通った脳死を人の死とし、小児の臓器移植を認めるいわゆるA案が、修正されずに参議院を通るかどうかは、本当に臓器移植がわが国において拡大するかどうかの重要な分岐点であったと思う。小児臓器移植については、とくに小児の脳死判定の困難性などにおいて深刻な対立点があるなど、賛否両論がある。しかし、賛否両論というのは先鋭的な問題には必ず生じるものだ。賛否両論があるからといって現時点的な結論を出せないということはない。今回、臓器移植法案を修正しようとする大きな力が参院に働いていたが、開けてみれば与野党逆転状況にも係らず意外に票差は開いた(註)。これは議員諸氏が、今助けねばならない遭難者を前にして、いつまでも結論を先送りにして放置できない、という当事者意識を持ったからであろう。私もこの問題について、ある医療機関のコミュニティ誌において論争の当事者になったことがあるが、いわゆる脳死臓器移植懐疑派というもののコアは、その本質として臓器移植自体に反対であることが見えた。彼らは臓器移植という行為そのものをおぞましい行為と感覚しているところがある。したがって、臓器移植を受けることにより助かる命の重さを理解しえない。一般の市民の目からみたらまさかと思うかもしれないが、そういう感覚の医師も存在するのである。反対運動の方は、これまでの臓器移植の実態を検証するとして、さまざまな問題があると指摘する。こんなにいいかげんな脳死判定だ、こんな出鱈目な移植への同意だ、と声を荒げて批判する。ただ公平な市民の目として忘れてはならないことは、あらゆる行為には、批判の余地が必ず存在するということである。真に批判の全くない行為など、言論の自由のない世界にしかありえないのだ。実態として存在するのは、わが国の医療のモラルのレベルであって、それは決して批判者の言うように不当に低いものではない。今回の臓器移植法案に懐疑的な柳田邦夫氏も、臓器移植検証委員会において、これまでの約80例中50例の検証のなかで看過せざる問題点は見つからなかったとしている。問題点は確かにあるが、それでも発展させねばならない、という分野はあるのだ。ちなみに私のまわりは、反対派が多い。医療機関の連合体がそうであり、難病患者の周辺組織もそうである。しかし彼らの意見を耳にするにつけ、やはり根本的なところで誤解や思い込みがあるように思えてならない。最近の状況のなかで、脳死に近い状態の子供を持つ親の意見がメディアに取り上げられることが増えた。この子は生きる価値がないというのですか、とその親は訴える。身長も10cm伸びたという。しかし、脳死臓器移植を行うということは、脳死と判定して人を死に追いやることが目的ではなく、臓器移植を行って必要とする人を助けることが目的のはずである。脳死に近い子供の命を保障することも(あるいは脳死の子も親が望めば最後まで生かすことも)、臓器移植により命を救うことも、人の命を大切にするというベクトルは同じはずである。本来脳死臓器移植ということが、ドナー側とレシピエント側に相克する価値をもたらすものではないはずなのだ。脳死に近い子供を生かすこと、そこに他人から見て価値などわからないかもしれない。多くの人が、どうしてそこまで頑張るのといぶかるであろう。しかし、彼らはそのくらい一生懸命だし、真剣なのだ。その子をもつ家族にとっては、その子が生きているということはかけがえのない価値なのである。それが今回の法案で迫害されるように感じるのであれば不幸なことである。それを社会としてはっきり認めよう。誰がこの子の生命を保証してくれるのですかと親は言う。それなら答えは私が語れる。私が保証しますと。私は外科医ではなく、移植医療という医療技術にはうといが、そのような方の生存の維持については仕事を通じた日常的なかかわりがある。そして同時に移植でしか生きられない子の命の価値も認めようではないか。もとより反目する必要のない両者を対立させる必然性などはないのだ。そのためには子供の脳死という未だ明確な答えのない事象について、限りなく真実に近づく努力が必要であり、脳死と脳死に近いということの差を可能な限り明確に示す必要があるし、真摯に実施される医療行為のみがその社会的正当性を担保しうるのだと思う。いかに立派な法律を作っても運用が出鱈目なら、社会に認知されることにはならない。しかし、不十分な法律であっても、それを正しく運用しようとする社会の力があるのであれば、必ず大多数の市民にとって許容できる実態ができあがるはずだ。医療とは、政治以上にその国のレベルを示すのである。そして移植を行うセクションの力量がこれから試されてゆくのだ。万一、法律制定に浮かれ、いい加減な実践を行えば、かならず社会の反発に耐えられない事態を招来することになるであろう。彼らの責任はこれまで以上に重いのだ。 

註 今国会採決状況
    衆議院:賛成263人・反対167人でA案が可決(2009/6/18)
    参議院:賛成138、反対82の賛成多数で可決・成立(2009/7/13)