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2009年9月13日 民主党政権に望むもの

わが国での初めての本格的な政権交代となった民主党による政権奪取であるが、多くの方々と同じくそんなに期待していない。というより、新政権として気合が入りすぎ、無謀な「改革」を本当に打ち出してこないかどうかが心配である。現状というものは、多くのバランスの上に立っているのであり、無理やりな現状改革は、さまざまな軋みを上げるのが目に見えているからだ。この間の医療改革こそがそうではなかったか。厚労省の若手官僚(いわゆる青年将校)が中心になってすすめた医療界での構造改革は、わが国のそれなりに安定していた医療体制ががたがたになった。医療というのは、一部の先進医療のみに意味があるのではない。確かにそこは日当たりもよく、派手なニュースを発信し、世界の先端と伍した闘いを行える場所だ。しかし、一部のそういうトップファッション以外の、多くの地味な、こつこつとした取り組みが、その国の医療レベルと国民の生活全体を支えているのだ。この間の医療改革というのは、一部の急性期医療のみ医療として残し、あとはすべて介護という領域に押しやり、費用をむりやり引き下げようとしてきた取り組みであったとまとめられるだろう。しかし、介護の分野からいえば、本来人手も費用もかかる高度障害状態の人を引き受ければ、低い介護報酬の設定では到底対応できなくなる。私たちが取り組んでいる難病などはまさにその際たるものといえ、病院での長期療養が不可能になれば、受け取る施設もなく、本当に行き場がなくなる状態に陥りかけていたのだ。ある種の政治決断によって特定疾患療養病床の廃止がぎりぎりのところで回避されたが、2006年に廃止が決められたとき、私たちはその期限である20084月の半年前に撤回が通知されるまで、この多くの患者とともに心中しなければならないのではないかというストレスの下にあったのだ。極めて詐欺的かつ強引な中医協会議を運営をした厚労省青年将校団の一員であった麦谷を私たちは決して今後も許すことができない。民主党にはくれぐれも「改革」という名前の甘い罠にかからぬよう願いたい。実際の人々の暮しは、改革という名前の無謀な実験で破壊されることが多いことをしっかり知った上で、誤った、あるいは過度の新自由主義的構造を融解させていってほしいものだ。

 そういう民主党にも、ひとつだけこれは本当に改革してほしいというものがある。諫早湾締め切り解除である。以前のコラムで、諫早干拓は、水害対策には全く関係ないということを指摘した。諫早大水害という大災害は、豪雨と押し流された木々が橋にひっかかり川の流れが堰き止められ、市街地に流入して起こったのが原因とされている。海はいかに豪雨が降ろうと、海面が上がったりしない。したがって豪雨が起こったときは、スムーズに海に大量の水を排出すればよいのであって、その海を堰き止めたりすることは逆効果であっても、なんのメリットもないのだ。諫早干拓は自民党政権と農水省が土建業者と結託して意味のない国土開発に金を注ぎ込みたかった行為の虚偽の理由なのであり、詐欺そのものと言えるのだ。そして、この締め切りで汚泥の池と化した諫早湾を再生させないことには有明湾全体がいつまでたっても健康に戻ることはないと考えられるからだ。汚泥の池、これは一種の膿瘍なのである。体内に膿瘍を残したまま、その身体が健康になれるわけがないのだ。しっかり切開し、排膿し傷を洗わねばならないのだ。海の再生能力はきわめて高い。現在汚泥の膿瘍と化した諫早湾も、新鮮な海水と海生バクテリアや小動物が入り込めば、あっというまに豊穣な干潟に戻ることは間違いない。一時的には膿瘍が排出された有明湾も傷められるであろうが、それは、その後の安定した美しい、豊かな海にするための、誤った政策の修正の必要コストであろう。あの諫早湾締め切りのギロチン遮断は、国家戦略局担当大臣になられるであろう管直人氏のトラウマでもあると思う。水害対策という虚偽のプロパガンダを引き剥がし、有明海の再生を是非実現させてほしい。国家百年の計である。