Dr Makotyの近況報告2003年 

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12月29日 仕事納めの日ですが、今週は定時往診にうかがえないので、午前午後通して難病患者さん全件往診しました。午前10件、午後9件。走行距離100キロ。さすがに疲れました。今日は、自動吸引装置の海外情報を担当してくれることになるオーストラリア生まれのM君に同行してもらいました。インターネットで調べるのと実際の闘病を見るのとでは全然違いますね、と言っていました。彼は23歳ですが、日本に来てもう5年。大阪弁と大分弁を使い分けれるという日本語の名手でもあります。患者さんのところに入ると、身長185cmの上、金髪丸坊主で、家族の方が一瞬ギョッとされますが、すごいねー、日本語ぺらぺらなのね、と感心されていました。さてワタクシ、30日と元日が日当直で、3日から4日は徳永装器で実験です。これから3月までが勝負どころです。
来年もよろしくお願いいたします。
12月17〜19日 17日に、大分市で私の関わっているHMV(在宅人工呼吸)管理の患者さんを受け持ってくれている訪問看護ステーションの皆さんを協和病院にお招きして皆でディスカッションする会を持ちました。大分市のみならず、佐伯からも2箇所のSTが駆けつけてくれて、8箇所40名弱の集まりとなり、病院の会議室は満杯でした。皆さんとても熱心で、難しい患者さんに関わる悩み、呼吸器拒否されている方の接し方など、本当に今現場で直面している問題点を熱く議論することになりました。もちろん簡単に解決できるわけはないのですが、孤立せず(患者さんも含めて)、今後もやっていこうという意思一致は出来たのではないかと思います。同時並行で、ALS患者のDさんに、カフ改良型新型カニューレのテストを受けてもらっていて、21時にはそちらに合流。23時まで付き添い、今回は6時間エア漏れトラブルもなく、うまくいきました。これで今後の自動吸引装置の臨床試験が行える目処がつきました。
18日夕方は大分県立病院にて、倫理委員会に出席。県病法化図部長、高田中央病院瀧上院長に同席していただきました。自動吸引装置の臨床実験の実施について審議してもらいました。これまでの開発の流れをPCでプレゼンテーションし、安全対策など質問を受けました。おかげさまで許可となりました。
19日夜は三重保健所での講習会。なんとか仕事を18時前に終わらせ、雪が舞うなかを車で三重に向かいました。40名弱の方が集まられていて、大分市でのALS医療について講演させてもらいました。この地域でも最近気切人工呼吸で在宅を始められた方がいるそうで、ある訪問看護師さんは、「その方に関わっているので、絶対聞かなきゃと駆けつけました」と言ってくれました。三重保健所長の足立先生にお会いできました。彼とは5年前S市でALS患者を病室から出そうという試みを一緒にした仲です。そのときは実現しませんでしたが、今はその地では在宅人工呼吸を頑張っているNさんがいます。
とまあ、めまぐるしいこの数日でした。これって師走ですね。
11月29日 宇佐高田保健所と県難病ネットワークの共催で、難病教育講演、講習会が宇佐市で行われました。私は、午前中は宇佐の徳永装器で打ち合わせをして、午後の講演に望みました。私の前は、家族の立場からを、県ALS協会土居事務局長から話されました。さすがに話の名手です。聴衆の興味を集中させられます。私の方は約1時間の講演を、大分市のALSの医療について話させてもらいました。立ち見が出るほどの盛況でした。講演の後は、看護師による吸引講習会です。多くのヘルパーの方が講習を受けておられました。というか、希望多数のため、講習を受けれるかたを抽選したようです。それ以外の方も残って一緒に見学されておられました。私は思います。これが本来の姿であると。ALSの吸引問題をめぐって看護協会が極めて強硬な姿勢を貫いたのは、皆さんよくご存知でしょう。本当に患者のためを思ってそのような姿勢を貫かれたのかと私は疑問なしとしません。これは医療であるから、家族にもさせない、全て看護師がやり通すというのならその姿勢も評価されましょう。しかしほとんど家族に放置して、ヘルパーにはさせないというのはどう理解すればよいのか。この日の会も、大分県の看護協会の役員の方が来られていて、講習のときに意見を交わしました。私は、看護師が責任をもってヘルパーに講習する、こういう姿が望ましい姿ではないのかとお話しました。
11月23日 国立療養所南九州病院の院長をされている福永先生を招聘しての、自動吸引装置研究班検討会議を行いました。福永先生は、この春まで行われた厚労省の吸引問題検討会の専門委員をされています。まず私から、大分におけるALS在宅医療の現状についてプレゼンし、続いてこれまでの自動吸引装置の開発経過、現在の到達点について発表させていただきました。私が考案した新型カニューレについては、ALSに限らず、筋ジスやその他多くの神経難病について有効性を検討してはどうかというご意見をいただきました。コロンブスの卵だったねえ、とも言っていただき、作者としては嬉しい限りです。
つづいて徳永さんより、自動吸引装置の実験モデルを実演してもらいました。この写真右から二人目が福永先生。こちら写真が実験モデルです。
さて、来春発行予定の難病ケアの本(神経難病診療119番、日本プランニングセンター)の担当分を脱稿することが出来て、一息入れることが出来ました。実はこの本の監修も福永先生がされています。しかし、29日は豊後高田で保健所主催の難病教育講演会がありますし、12月は福島に行って、F社とカニューレの改良についてのディスカッションを行う予定です。自動吸引モデル実験も本格稼動させねばなりませんし、これからが本番です。
11月14日 県南の小都市、佐伯で在宅人工呼吸で頑張っているNさんの調整会議がありました。ケアマネ、訪問看護、ヘルパーステーション、デイサービスなど、Nさんの在宅療養に関わる人々が集まりました。主催は佐伯保健所です。Nさんのデイサービスが、在宅を始めた頃からの課題となっていたのですが、それがついに解決していることが報告されました。毎週日曜です。しかも、現在では奥様の付き添いなしで、送迎、お風呂が可能になっているということです。Nさんが勇気をもって切り開いた佐伯の在宅ですが、地域の方々の努力と真面目さで、一年半でついにここまで来ました。それまで全く経験がなかった県南小都市でのこの展開は、全国どこでも適応できる質があると思います。そして、今回の調整会議はNさん自身も出席されました。Nさんに関わるスタッフは、皆が文字盤を拾えるようになろう、ということで1時間の会議が終わりました。この調整会議、私は大変意義があると思っています。特に佐伯のように、経験がなく、一から始めるというところは、絶対に有効です。それぞれの施設でやっていることが、他の職種の方にもオープンにされます。そこで目標が立てられ、次回の会議で達成をチェックするという進み方になります。Nさんの在宅は、保健所の難病担当保健師W君のバリバリのやる気で実現しました。しかしW君はこの春異動。だけど後任の方も、持ち味は違いますが、きちんとすべきことを進めてくれています。それもうれしかった調整会議でした。
11月11日 風呂から上がってビールを飲もうとくつろいだとき、携帯が鳴った。病院からの緊急連絡だった。Mさんが呼吸停止です!私は、すぐアンビューで呼吸確保と指示し、上着も着ずに車に飛び乗り、病院に向かった。Mさんは、50台の女性で、気管切開チューブ経由のバイレベル補助(NPPV機器を用いて)を行っているALS患者である。病院に着くまでの数分間、悪いことばかり想像していた。くそっ!通常の人工呼吸管理に移行しておけばよかったか!などとうめきながら。病室に駆け上がって患者さんを見た。眼に力があった。まばたきで無事を教えてくれた。力が抜けた。
NPPVを用いる場合、やはりこれがある。そのときはやや呼吸が苦しいと言って、看護師と文字盤で会話をしていた最中に意識が飛び、呼吸が停止したらしい。見ている前で本当によかった。そして気管カニューレが入っていたため、手押しバッグによる換気も効率がよかった。これが鼻マスク式の本来のNPPVの状態であったら、もっと難渋したであろう。来年春に出版予定の神経難病の在宅管理の本で、私はALSの人工呼吸という章を与えられているのだが、そこに書いていたことを実践してしまうことになった。それは現場の臭いプンプンの原稿になってますが、どうぞご期待ください。
10月18〜19日 自動吸引装置に使う特殊な気管カニューレを作ってもらうため、福島県のF社にディスカッションしに行ってきました。徳永装器の徳永さんと一緒にです。F社はシリコン製の医療器具を作っているメーカーです。工場長さんや製品開発の担当者と話をしていて、製造現場と私たち医療現場の考えに落差があることを感じました。お互いもっと意見の交換が出来ると、もっといい製品が出来ると思いましたね。気管カニューレについていくつか提案させていただきました。F社がんばれ。
昼過ぎから時間が出来たので、工場から噴煙が見えていた那須岳に連れて行ってもらいました。頂上近くまではロープウエイがありますが、そこを出て歩く人は皆登山ウエア。背広やブレザーの我々は大変場違いでありました。山の冷たい空気が気持ちよかったです。翌18日は朝早く福島を出て、東京は市谷の日本ALS協会を訪ねました。今度事務局長になられた金沢さんと約3時間、呼吸器の外れ事故のことや、吸引問題などを話し合いました。
10月4日 佐伯のNさんの里帰りに参加しました。前日の佐伯勤務にあわせて大分から車椅子リフト付きのワゴン車を持ちこんでおきました。前泊のため佐伯で会食。診療所のM君と、途中から飛び入り参加した某市会議員といっしょでした。私の好みでニッパチ(佐伯では知らない者はいない大衆居酒屋)でやりましたが、少し客の入りが少ないのが気になります。不況が覆いかぶさっている街の姿なのでしょうか。
さて、翌4日は秋晴れ。出発までがスムーズで、向かいの大入島へのフェリーまで時間があったので、Nさんが2年前まで勤務していた会社に寄りました。事務所からかつての同僚が皆さんが出てきてくれて、対面を果たせました。皆さんの暖かい言葉かけに感謝です。さて一年ぶりの実家に入り、私たちサポート部隊は場所を移して待機。ご家族水入らずのひとときを過ごしていただくためです。ま、待機といっても島に最近できた食彩館のレストランで昼をいただいたり(私はシーフードカレーと佐伯名物のごまだしうどん。痩せないはずです)、食彩館の向かいにある突堤で釣りを楽しんだりしていました。もう日差しの中に出ても、暑くはありません。夕方、ご実家に行き、Nさんを車に乗せるとき、Nさんのお兄さんが朝釣ってきたという魚をいただきました。タイにハゲにアジにヤズ。サポート部隊で山分けさせていただきましたよ。家に帰って早速捌きました(もちろん自分で)。タイはお造りに、ハゲは薄引きです。帰ってきた長男はタイが美味いといい、三男はハゲがいいね、と言ってくれました。食べ物づくしの報告でした。
9月30日 約20人近くの在宅の難病患者さん(そのほとんどが何らかの呼吸管理を受けている)の往診は、ちょっとしたドライブみたいなものです。週に二日間、午後をそれにあてていますが、一日の走行距離が50キロくらいになります。以前は自分で運転していましたが、当直明けに運転して、赤信号のとき運転席で寝入ってしまったということがあって、同行の看護婦が恐怖を感じ、今では運転手さんにお願いしています。以前はバスの運転手だったというその方は、もう70歳ですがお元気で、畑で農作物作る上に、月数回のゴルフはかかさず、しかもコンペでは2位とか3位とかとられていまして、大したものなのです。その運転手さんと、暑い9月に話をしていたのが、ことしの彼岸花はどうなりますかなー、ということでした。今年は、9月の方が8月より暑いくらいで、9月にクマゼミの鳴き声を聞いたりできました。この分では、彼岸花、相当遅れるでしょうねえ、などと話していたのですが、そういうことはありませんでした。今年もきちんとお彼岸に咲いています。例年より若干ばらつきがあるようには思いますが、ほぼお彼岸に咲いたといえるでしょう。お見事、と言いたい気分です。そういえば、桜前線という言葉はあるけど、彼岸花前線という言葉はないですね。それに南北に長い日本で、いずこもお彼岸頃に咲くというのも、温度には依存していない証拠でしょう。ほぼ間違いなく日照時間で開花時期が決まっているようです。
ようやく30度以上の残暑も終わり、日中も爽やかな風が吹く季節に入りました。暑さ、寒さも彼岸までとは本当によく言ったものだと思います。汗を拭きながらの真夏の往診も終わって、往診車の窓を開け、外の風を楽しめる季節になってきました。
9月1日 本ページがYahooのディレクトリサービスに掲載されてから、この一ヶ月で、アクセスカウンターが倍になってしまいました。これまで趣味のページの大体半分くらいで経過していたのですが、一気に逆転です。おそらく731部隊のタームで引っかかっているんだと思うのですが、このところこちらのページの更新は、主張のコラムを2ヶ月に一回程度という手抜き状態なので、もっと気軽に更新できるパーツを入れることにしまして、これを書いております。さて、第一回です。
先日、午前3時、在宅呼吸管理しておられる方の奥様から、緊急連絡が入りました。人工呼吸器のアラームが全部点いて、アラーム音が鳴りっぱなしで、機械が動いていません!というものでした。アンビューバックを押しているそうです。すぐにご自宅に行こうとしましたが、既に救急隊を呼ばれたとのことで、病院に向かうことにしました。玄関を出たら、西の空に赤みがかった大きな星が見えています。ああ、火星だ。そういえば大接近とか言っていたなあ、などと思って眺めました。確か6万年ぶりの大接近だとか。ま、でも星ですね。決して月みたいに丸くは見えず、肉眼では明るいもののただの点でした。さて、病院に着いたころ、救急車が到着しました。アラーム鳴りっぱなしの呼吸器と一緒に、Uさんが運ばれてきました。バイタルには異常なく、本人の身体は問題ないようです。ところが、救急隊員の申し送りで受け取ったモニターのプリントを見て驚きました。SpO2が67になっているのです。奥さんがアンビューバッグを押して救急隊を待っていたときは98あったそうです。しかし、救急車に搬送された直後のSpO2は67まで下がっているのです。これは何を意味するのでしょうか。おそらくはストレッチャーに載せられて、救急車に搬送されるまでの間、バッグが押されてなかったのでしょう。でないと、この落差は説明できません。救急車に同乗した奥様は、モニター画面のSpO2の低さを見て、もっとしっかりバッグを押してと、叫んだそうです。
在宅人工呼吸をされている患者さんは、まだまだ少数派です。突然呼ばれた救急隊員も、とまどったことでしょう。それは仕方ありません。ただ、奥様には、機器の故障の場合は、アンビューさえしっかり押せたら心配ないから、訪看や主治医を呼ぶために、病院にまず連絡してください、とお話ししました。長く在宅人工呼吸の介護をされている方は、その患者さんにとっては、初めて出会う救急隊員よりよほどスキルがあるのだから、自分を信じてパニックにならないようにしましょうとお話ししますと、やっぱり突然のことがあるとパニックになってしまうわ、と感想を述べられていました。機械は、一旦スイッチをオフにして入れ直すと、元の動きにもどりました。
翌日の晩も火星を見れました。最接近の日でした。今度は宵のうちで、まだ東の空にあるうちに。