佐伯の西田さん、大入島へ初帰郷

2002年11月16日
島の地図はページの最下部にあります

県南の佐伯地区ではじめて呼吸器をつけて在宅療養生活に踏み切られた西田さんは、その後大変順調で、当初腰や足が痛くて眠れないなどで悩まれましたが、徐々によく眠れるようになられ、そうなると、あそこも行ってみたい、ここも見てみたいという気持ちになるのは嬉しいことです。その西田さん、試験的に近くのコスモスを見に行かれたことは既に報告いたしましたが、それは今回の大事な取り組みの準備だったのです。そうです。生まれ故郷の大入島に戻って、お母さんに会う、という大事な目標があったのです。
大入島は、佐伯市の向かいにある結構大きな島です。島にはいくつもの集落があり、一周すると18キロとのことです。島に行くには福祉タクシーのような車椅子ごと乗れる車を用意しないといけないけど、佐伯ではタクシーチケットが小額で、ワンメーターしか使えない。ちょっと遠出すると大金がかかってしまうけど、何かよい手がないかという声が、2週に一回往診している私の耳に入ってきました。その話乗りましょう。往診対象患者だから、病院のレクとして扱えます。協和病院の患者搬送車を佐伯に持っていきましょう、ということになりました。本当は、久しぶりに島巡りしてみたかった右の写真のドクターの不純な動機という説もあります。

11月16日。今年は寒くなるのが結構早く、この日も風が強く曇り空でしたが、ときおり陽もさし、天候は回復していくようです。12時ころ西田さん宅に本日のレク担当スタッフ集合です。運転手は私。佐伯診療所の増永君は島出身ですので、本日のガイド。医師会訪看センターのボス、寺嶋さんは同行看護婦。それに佐伯保健所の保健師、渡部君が記録係。当初はビデオも撮るぞと張り切っていましたが、機械関係に案外弱点があって、それは果たせませんでしたが。ご家族の方は、弟さんと奥様。総勢7名のツアー開始です。
さて、島に渡るにはフェリーです。左の写真は、佐伯の葛港の島への渡船岸壁でフェリーを待っている一行です。このフェリー、日本一高いフェリーとして有名です。何せ乗船時間たった5分の割に、結構な料金なもんですから。
島に渡った私たちは、まず北に上がり、守後、久保浦と部落を進んでゆきます。途中窓のない平屋の結構大きな工場のようなものが見え、増永ガイドは、あれはヒラメの養殖施設です。一時は結構儲かったらしいと教えてくれます。久保浦はなんといってもその増永君の里として有名です。皆でご実家を眺め、ほ〜うという歓声。久保浦の少し先に佐伯のリゾート海人夏館があります。ここで車を止め、しばし散策。このあたりは島がくびれていて、対岸までトンネルでほんの100mというところです。島唯一の中学校をみたり、島でここだけという信号機があったりと、島の文化の中心地なのです。右の写真、後ろに見えているのが、その中学校ですね。ついでに増永ガイドの所属している消防団の車庫があり、消防車のサイレン吹奏というアトラクションもありました。近所の子供がびっくりして見にきましたが。さて、この海人夏館では、ある目的がありました。それはカボスソフトを皆で食べようというものでした。名物だから年中やってるよ、という声もあったのですが、現地で尋ねてみると、こげー寒ーちから、よー作っちょらんでー、との非情なご託宣でありまして、一同がっかり。気を取り直して再度乗車し、堀切、片神、高松の部落を抜け、普段は網を干すために使っているといわれるトンネルを抜けたところが日向泊(ひゅうがどまり)。この部落は湾の外に向いており、遠く四国の山並みがうっすら望めます。この名前の由来も、神武天皇が東征するときに最初に泊まったというところから来たという結構気宇壮大な由来があるのです。その証拠?に集落の少し南側に、畏れ多くも、神の井なるものがあり、満潮時は海面より低いのに、この井戸はいつも真水が汲めるというもので、この地に下りた神武天皇が水よいでよ!と杖をさしたら真水が湧いたといういわくつきの井戸なんですね。まあ、山からの泉の水圧が、海水圧に勝って、塩分の浸透を抑えているということなんでしょうが、左の写真のように吹きっさらしの井戸ですので、ゴミも落ちていて、ちょっと本当に真水かどうか確認するのは躊躇われます。海では海岸近くで底引き網漁を漁船3隻でやっており、しばし見学いたしました。ちりめん作りのための網なんだそうです。
さて、日向泊からは南下して、海水浴場のある白浜です。10年前ころ、ここに泳ぎに来たものの、沖で養殖をしている関係か、ちっとも水がキレイじゃなく、がっかりした覚えがありますな。先ほどの海人夏館の裏側にあたります。そこから車は東に伸びた海岸線を進み、島最大の部落、荒網代(あらじろ)に入ります。船溜りには漁船が所狭しと並び、岸壁には網やボンテンが干され、勢いのある部落であることが感じられます。荒網代は島の南東端になり、ここより車は西に進み、島で唯一の小学校を横に見ながら、石間の部落へ。部落の海岸の埋め立て問題で反対運動があるこの部落は、スローガンを書いた多くの立て看板が並んで、他の部落と違った雰囲気です。そして、この部落こそ、西田さんのご実家のある部落なのです。おや、家の前に誰かもう待っています。おばあちゃんです。ずいぶん前からまだかまだかとお待ちになられていたようなのです。久しぶりの親子の対面となりました。よう帰れたなあ、とおばあちゃんが言えば、西田さんの目から涙があふれます。正面に写っているのが、おばあちゃん、もとい、西田さんのお母さん。手前のおばちゃんは、近所の方です。我々も家にあがらしてもらい、昨日の時化の中、西田さんのお兄さんが釣ってきてくれたという魚の味噌汁をふるまわれました。その美味しいことといったら、左の写真でわかってもらえますかな。おばあちゃん、失礼、お母さんは、泊まっていきよ、と何度も言われていましが、ばあちゃん、そら無理やわ。今度もっといろいろ準備してからじゃないと出来んわと、いうことで、しばしの時間でしたが、島を後にいたしました。

 

 

写真は佐伯診療所 増永さんの提供です ありがとうございました

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