2001年5月31日人工呼吸器の安全性

ハンセン病訴訟判決で、国会の不作為ということが問題とされました。不作為ということが問題になりうるというのは、きわめて新鮮な衝撃でしたが、今日の朝日の記事などを見ていますと、確かにこれは不作為だなあと思わざるを得ません。現実に行われていることで、それに対して非難の声が聞こえにくいことや、対象の人々が見えにくいと、どんな人権侵害も何十年と見過ごされるというのは、認識しておかねばならないと思いました。

そこで思うのですが、皆さんも新聞記事などでよくご覧になると思うのですが、毎年、それも何件も呼吸器事故が繰り返し起こっています。つい最近も呼吸器ラインのはずれが原因の死亡事故が報道されました。エアラインのコネクタやマウントの抜けやはずれによる事故は、長期呼吸管理にたずさわる医療者や患者家族にとってひろく知られている事実にもかかわらず、現在においても放置されております。それも外れた、死んだ、後遺症が残ったというような交通事故のようなものではなく、患者にとってはいつ外れるかわからないという不安の中で日々暮らさねばならないというストレスフルな状態を生んでいるわけです。いきおい、患者は家族をベッドから離さなくなります。家族にとっても不安で離れられないという拘束が生じてしまいます。この状態は、不完全な器具を汎用することによる人権侵害といえないでしょうか。

この種の呼吸器事故は、新聞報道されている事件の数倍の実態があると思われます。大分県内でも、この5年間のなかで、呼吸管理を受けているALS患者のなかで致命的な事故が少なくとも2例発生し、一例は植物状態、一例は死亡となっています。もちろん報道されておりません。この間、大分県で難病により長期呼吸管理を受けているALS患者の数、つまり母数は20〜30例と考えられています。この種の事故は、単純に計算すれば、全国的には、100〜200例発生しているとみてよいのではないでしょうか。だいたい大分県の100倍の数が全国を反映していますから。報道されているのは年間2、3例ですが、実際はその10倍は発生しているとみて間違いないと思います。

昨年のJALSA湯布院交流集会では、そのことに触れた私の講演のあと、大阪の熊谷さん(近畿ブロック会長)のご主人から、この問題をなんとかできないかといつも思っている。何か有効な手はないでしょうかという質問がありました。私はそれに対し、とにかくPL法でもなんでもいいから、メーカーを患者や遺族が訴えたらどうでしょうか、と答えました。

現実には、個別のメーカーの責任でエアラインの器具が作られているわけではありませんから、PL法にはたしてなじむ問題なのかという疑問はあります。統一的な規格があるようです。メーカーが違ったら器具が繋げないということがないようにするためでしょう。しかし、現状の規格を守りながらも、外れない工夫(ロックなど)を追加することは不可能ではないように思います。誰かPL法に詳しい方のアドバイスいただけませんでしょうか。

先日来、アメリカにおいて、フォードのエクスプローラという車種にファイアストンのタイアの組み合わせで事故が多発し、170人のドライバーが死亡しているという報道がなされています。確かに大変な問題です。しかし、ある特定の、もっと狭い領域の人々に、極めて高い確率で事故が起こっている現状が、長期呼吸管理を受けている方々に生じていることも考えてもらいたいと思います。事故はおそらくパーセントオーダーの確率で発生しています。一般社会でパーセントオーダーの確率で致命的な事故が起こっていたら、放置されるはずはないと思います。

この呼吸器事故の問題というのは、私たち健常者においては、遠い問題です。タイアの問題の方がずっと身近に迫る危険という意味で大きなものでしょう。しかし、だから感心がないというのでは、私たちも不作為のそしりを免れぬと思うのです。私もことあるごとに発言し、また自分の論文などにもこじ付け的でも載せてきましたが、徒手空拳というかのれんに腕押しというか、あたりの感触さえつかめません。

ハンセン病判決のおかげで、不作為という言葉がこれほどにインパクトをもって語られる現在、是非この問題も考えてほしいと願うものです。

BACK