2001年8月18日恨に嫌悪を返すな

3,4年前、じん肺の日韓研究者交流会で韓国に行ったときのことだ。会議終了した翌日、帰りの便まで時間があったので、熊本大学に留学に来ていて知り合ったKさんの奥さんが、僕らを案内して、北との国境の町に連れていってもらった。そこのレストランでの会話のなかで、日本人が韓国に来るとぼられたり意地悪されたりするということが話題になった。そのとき彼女は、「韓国人は、昔日本人にとてもひどいことをされたから、少しくらい日本人をいじめても当然という気持ちを持ってます」と言った。さらに「もちろんあなた方はお友達だから、そんなことしませんが、私にもそういう気持ちはあります」とも言われた。小泉首相の靖国参拝を巡って、韓国、中国からの反発が激しい。それに対して、あんなものは国対国のパワーゲームさ、とむしろ自己主張することが正しいという風潮を強く感ずる。地元のマスコミの一面コラムでも、嫌韓、嫌中感情をむき出しにした、「何回謝ればいいのか」という論旨をよく目にする。相手の国をおおう恨という感情が、根拠のないものなら批判すべきであろうし、こちらも堂々と自らの心情を主張してしかるべきだろう。だが、根拠がないのか?我が国とは、その根拠そのものを国民に教えず、指摘されれば居直るという態度を続けてきたのではなかったのか。ライブラリーに731部隊の元隊員の証言を載せておいたが、この731部隊の存在さえ、国としては知らぬ存ぜぬというのが公式姿勢ではないか。確かに過去をごまかしている。その態度が、被害を受けた国の国民にとって面白ろかろうはずがない。首相の靖国参拝は、そのような広く深く熾き火のように燃える恨に、さらに油をそそぐ行為なのである。それがどういう結果を生みうるか。中国、韓国に多くの日本人が働き、また観光に行く。その彼らを対象としたテロを誘発することはありえないか。もしテロの口火がきられたら、悪意はさらなる悪意を呼び、もはや和解などありえなくなるだろう。靖国公式参拝を希望する諸氏はそれが望みか。それはもはや政治などではなく、挑発である。挑発というのは卑しい行為だということを自覚すべきであろう。

この6月から7月にかけて、地元の看護科学大との学生交流の一環で来日された韓国ソウル大の看護学生の方々に、在宅で頑張っておられるALS患者の往診に、少人数ずつ同行してもらった。明るく、心豊かな、そして勉強熱心な女子学生の諸君だった。在宅で人工呼吸管理を受けておられる患者の皆さんや介護にあたる家族やサポート職種の方々と、現場でディスカッションできたことは、彼女たちにとって大きな記憶となったと確信する。それは私たちにとってもエキサイティングな交流であった。最初にあげたK氏の奥さんの言葉を思い返してほしい。恨はあっても友達にはなれる。友達になることは、相手の嫌がることをわざとしたり、挑発したりしないことは当然のことである。彼らも、A級戦犯の家族が、あるいは一般国民が靖国に参拝することを止めろなどとは言っていない。恨に対して嫌悪で返す一部のデマゴーグの意見に共感すべきではない。理性的に、友人としての規範のもと自らの行為を律するべきである。

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