2003年2月10日 コミュニケーション不能ということ 

二日立て続けに「難病ネットワーク研修会」というのがこの2月、大分であった。はじめは大分市保健所主催のもので、私もシンポジストにされて大分市の難病在宅医療に焦点をあてたもので、福祉機器の徳永さん、ヘルパー、ボランティアの薬師寺さんなどなじみの方が同じくシンポジストで、具体的な話が中心となって、100名近く集まられた看護・介護、福祉関係者の皆さんも具体的なイメージが描けたのではないかと思う。翌日は、別府の国立療養所N病院で開催された、県主催の研修会があった。ネットワークといいながら、県と市が全くネットワークされてないぞ、なんて笑ってしまったが、実はその県の研修会でかなり衝撃的な話を聞いてしまったのだ。

難病ネットワークは、県立病院を拠点病院、国療N病院を準拠点病院とし、それ以外に地域の公立病院を基幹協力病院、そして私たちのような病院を一般協力病院と位置付けるというものだそうだ。つまり、前日の大分市のは一般協力病院サイドからの研修会、別府のは拠点〜基幹病院サイドの研修会と言い換えてもよさそうだし、内容も概ねそういうふうにまとめられると思う。さて、その衝撃的な話とはなんだ、ということであるが、それはシンポジストの一人であった国療N病院の看護師長さんの発表だった。N病院では、筋ジス約60名、神経難病約60名の計120名を診ているという。その神経難病60名のうち、50%がコミュニケーション不能と示されたことである。さすがに驚いた。いかに重症難病を集めたとはいえ、神経難病患者の50%がコミュニケーション不能とは。すぐにフロアから質問させてもらったが、どうも話がかみ合わない。

私 「コミュニケーション不能とういのはロックドイン状態だから、という意味か?」
シンポジスト 「まばたきくらいしかできない」
私 「まばたきできるなら、文字盤を使いコミュニケーションできるのではないか」
シンポジスト 「意味のあるまばたきと、不随意運動のまばたくを区別できない」

こういうやりとりになってしまった。このやりとりは結構皆さんにも衝撃的であったようで、シンポジウム終了時での皆さんの短評にも、これに触れて発言された方が多かったように思う。九大神経内科の吉良教授、N病院院長の森先生、N病院総師長などがそうであった。若手の保健師の方から、同様の感想をメールでいただいたりもした。

ALSなどの神経難病の方とコミュニケーションをとるというのは確かに困難である。私たちが診させてもらっている20名のALSの患者さんのなかに2名、ロックドイン状態の方がおられ、どうしてもコミュニケーションがとれない。彼らはまばたきさえ出来ず、ほっておくと眼球が乾燥して炎症を起こしてしまうような方だ。だから、まばたき出来るのならコミュニケーションできるはずじゃないか、というのが私や、うちのスタッフたちの感想であった。実際、ALS患者を入院させると、看護婦の労力のかなりの部分を、このコミュニケーションを取るという作業に費やされる。文字盤を拾ったり、意思伝達装置を患者さんの最適の位置にセットしたり、ときにはうまく伝わらず患者さんが興奮したり、嘆いたり、泣き出したりなどということもよくある。でも、うちの看護スタッフの皆さんは、根気よく意思をとってくれているように思う。私たち、「一般協力病院」として、まばたきしか出来ない難病患者は、コミュニケーション困難者であってもコミュニケーション不能者では絶対にないのだ。コミュニケーションをとらずに看護行為を行うというのが私たちにとって想像できない。しかし、そこをコミュニケーション不能と決定してしまうとどうなるか。この人はコミュニケーション不能だから、コミュニケーションとる努力をしなくてよい、ということになりはしないだろうか。コミュニケーション困難とするのなら、努力をしようという視点が出る。しかし、不能としてしまうと、そういう努力をしないでよい、という暗黙の一致が発生してしまわないだろうか。私は、看護の立場からコミュニケーション不能という言葉が出たことに、そういう意味で衝撃を受けたのだ。せめてコミュニケーション困難者と言ってもらいたかったと思うのだ。

もちろん私たちが充分コミュニケーションをとる努力と時間を割いているかと言われれば、充分とは言えないと反省するしかないのだけれども。それとは別であるが、私たちもコミュニケーション不能としている10%のロックドインの患者さんにも、なんとか少しでも意思がとれるよう努力をしたいと思っている。その患者さんは、いわゆる「脳波センサー」では駄目であった。脳波に限らず、皮膚電位など現場で取りうる生体情報で、ロックドインの患者さんの閉じられた扉を開けたいものである。今年は大分県立看護科学大の有志の先生方が一緒にその研究を進めてくれるということになっている。徒手空拳かも知れないが、頑張ってみたいと思う。

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