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2004年4月22日 迷惑などと言うな

 4月11日、日曜の朝、ふだんのニュースバラエティを見ようと思ってテレビをつけたがゴルフなんかの中継をやっていた。普段見ない方のチャンネルを回して、凍りついた。これはKさんじゃないか。

その数日前からイラクで日本人三人が武装グループに捕らえられ、人質にされているというニュースがしきりに流れていたが、他人事であり、あのファルージャの状況があってよく行こうとしたよなあ、ボランティアの二人は仕方ないにしても、ジャーナリストは彼らを止めるべきだったよなあ、という程度の感想しか持っていなかった。人質とされたフリージャーナリストのお母さんという方がテレビのインタビューで喋っていた。息子が生きたまま焼き殺されることがあったら自分は耐えられない、そうコメントしていた。その方は、まさしく私が知るKさんの姿だった。この瞬間から、この問題は一気に身近な問題となった。

 Kさんは、私の大学の先輩達が運営していた(今は運営が変わったのだが)精神病院の優秀なスタッフの一人であった。出身大学から遠く離れた九州の地で、学生時代から交流があったその先輩達とは、この20年ずっと交流があった。その病院の有志の何名かで、スキーに行ったり、ヨットに乗ったりして共に遊んだこともある。また、透析を拒否されたその病院の患者の裁判の支援活動などもしてきた。その仲間の一人であったのが、Kさん(母)である。政治的立場からものを考えるようなタイプではなく、しかし結構一生懸命にかつしなやかに頑張っている姿が魅力的な方だった。

 彼女の願いがかない、Kさんの息子さんも無事帰還を果たせた。ところが、決しておめでとうと祝えない、陰湿な、暴力的な雰囲気がこの国に満ちてしまっているのはなぜなのだ。巷では自己責任論とかいうバッシングが満ち溢れている。こういうバッシングはネット社会では珍しくもない。2chが巷に白昼堂々と現出してしまったような違和感を受ける。一国の首相ともあろう方が、個人の行為(もちろん犯罪などではない)に嫌悪感満ち満ちたコメントを出すし、公明党の幹事長は費用を公表せよという嫌がらせを言う。自民党の幹事長は、かつての売り物であった清新さをかなぐり捨てて、悪態をつく。この異様な現実は一体何なのだ。確かに状況分析に甘さはあったであろう。しかし人間としての尊厳さを失うことなく、あるいは日本人として恥じるべきことをすることもなく、解放されて戻ってきた。そして無事戻れた大きな原因は、彼ら、彼女らがイラクでやってきた活動が評価されてのことではないか。このような場合、普通いたわりと共感を持って迎えるはずだろう。少なくとも公式見解としては。それが違った。政府、政権党率先しての悪罵といやがらせである。この異常な現象について、共感を持てるコメントを書かれているサイトもある。そこでの真摯な意見を見ると、嬉しくなる。

 一時の悪意に満ち満ちた状況が、やや冷まされてきている感じはしている。新聞などのコメントや、政治家のコメントも、一時よりは穏やかなものになってきていると思う。ファルージャで虐殺行為をやったアメリカは、おそらく未来永劫あの地域で尊敬を勝ち取れないだろう。フランスやドイツを、復興からは除外するとアメリカは嫌がらせをしてきたが、戦後の復興は実のところ、そういう国しか出来なくなるのではないだろうか。わが国に対する印象も、アメリカの追随者という悪印象になったままでは、今も、そして戦後の復興も行うことなどできなくなるだろう。アメリカのやることを、あそこまで酷いことをしても止めようとしない程度の国なら、当たり前の報いである。力はなくとも、せめて品格だけは失いたくないものだ。もし、戦後のイラクにわが国が一定の役割を果たせる局面があるとすれば、自衛隊の派遣ではなく、人質となった高遠さんらの働きのおかげである。わが国は、彼らに対し、迷惑などといえる立場ではないのだ。