2005年2月10日 ある患者さんの死 先日あるALS患者が、呼吸器拒否のままついに亡くなられた。私は7年間のおつきあいであった。 当初から人工呼吸器には絶対にならないと言い続けてこられた。そうはいいながらも、割りに進行が緩やかで(というより四肢筋力喪失しても呼吸筋力がある程度残存し続けた、というべきであろう)あったため、この間、多くのお話をした。呼吸器をつけてのALSの医療が自分の専門であるから、ずいぶんそのことについてもお話をしてきた。その結果いつも彼女の答えは、先生の言うことは「わかる」、だけど呼吸器は「つけない」であった。揺るがなかった。 2年前、彼女が呼吸不全に陥った。痰が出せずチアノーゼで救急搬送されてきた。苦しい息のなか、文字盤で「眠らせて」とのみ彼女はうった。家族の同意を得て、緊急時だからとフルフェイスマスクによるNPPVを行い、痰を吸引し、緊急状態をなんとか挿管せずに乗り切った。しかし、2時間おきに痰が絡んで苦しくなる。看護師がそのつど40分もかけてタッピングやバイブレータをかけてなんとか痰を出す。しかしまた2時間したら同じことの繰り返だ。これでは他の方の看護が出来ないという当然の事情もあって、彼女に気切だけは受けてくれるようお願いした。当初は気切も人工呼吸器もイコールだと考えていた彼女に、気切と人工呼吸は違うことを説明し、あなたが拒否するなら人工呼吸器は絶対につけないから気切だけは受けてほしい。痰がスムーズに引けることが出来たら、再び在宅に戻ることも可能だと約束した。彼女は受けてくれた。そして私も約束を果たすことが出来て、彼女は再び在宅に戻れた。再び2年間の平穏な(といっても家族にとって全介護が平穏ということではないが)日々が続いた。しかし、ついに昨年末、気切から投与していた酸素量を増やさざるを得なくなってきた。短期間のレスパイト入院で撮ってみた胸部CTには、両側肺の背側1/3は沈下性無気肺を呈していた。その間再び何度も彼女に説明した。NPPVを行えば、あるいは気切からバイレベルを行ってはどうだろうかと。もしどうしても呼吸停止を止めたくないなら、バイレベルのバックアップ換気数をゼロにしたら、止まるときは止まるのだからとまで何度も説明した。しかし、説明は「わかる」だけど答えは「しない」だった。 1月に在宅に戻られた。もう難しい。あとはいかに呼吸困難で苦しまないようにするかが課題だった。呼吸困難の苦しさは安定剤などで解消しない。無理やり意識をとると、その途端呼吸停止を食らう。だからいかに呼吸困難を出させないで安らかに逝かせてあげれるかということになる。訪看には、とにかく必要な量の酸素をいくらでも入れるよう指示した。結局最終的には気切から10L、鼻から6Lという酸素投与量となった。そしてその日の朝、彼女が最も信頼していたヘルパーさんの番だった。その日、割りに調子よく笑顔をみせてくれることもできた彼女に、ヘルパーさんが洗髪をしてあげた。もう文字盤を拾うこともほとんど出来なくなっていた彼女であったが、何か言いたそうにしていたという。だけどヘルパーさんは読んであげることが出来なかった。拾うべき彼女の目に涙があふれて拾えなかったのだ。その日の昼が過ぎたころ、がくんとSpO2が落ちた。家族からどうもおかしいという緊急の電話を受けて、訪看のスタッフと家に着いたときには、弱い下顎呼吸になられていて、瞳孔の反応も鈍くなられていた。約1時間後完全に呼吸が停止された。彼女が発病してから10年間ともに支えてくれた家族は全員立ち会えた。最後の5年間ほとんど動けない彼女を、そして最後の2年間、気切から痰を引き続けてくれた彼女の夫、息子のお嫁さん、皆が呼吸が止まった彼女の傍らに静かに立ち続けた。 患者さんもご家族の方々も本当によく頑張られたと思う。それもごく自然に。そして呼吸器をつけることを家族の皆さんは同意され、是非一緒に生きていこうと、彼女への説得もしてくれた。だけど彼女の意思は変わらず、最後は彼女の思うようにさせてあげようということになった。 実は私は、呼吸器をつけずに見送ることになったALS患者さんは、これまで10年この医療をやってきて初めてなのだ。私の仕事のメインが、呼吸器をつけてから、ということにあるためでもあるが、まだそこに至らないレベルの多くの方とお付き合いするなかで、彼女以外の方々は、割りに普通に気切を、そして呼吸器を選んでくれてきたからだ。そして今20数名の在宅人工呼吸の方々のケアとサポートをすることが僕の仕事のメインとなった。結局彼女を僕は説得できなかった。説得できない患者さんにいかに苦しませないように医療的に努力するかというのは、多くの方々が考えてきたことだろう。意識レベルを落とす、あるいはモルヒネを使って苦痛を感じないようにさせるなど、いろいろな取り組みはある。だけど窒息の苦しさは果たしてそのような薬物で緩和できるのだろうか。私は疑問に思っている。私の選択は溢れんばかりの酸素を投与して最終的にはCO2ナルコーシスに誘導することだ。そこからさらにアシデミア(酸血症)に移行し、静かに終わるというのが、神経内科医ではなく、呼吸器科医としての僕のプランだった。このソフトランディングは今回成功したと言えるだろうか。まだこのことに関わった意味を含めて僕のなかで整理できていない。 世間では、ALS患者の呼吸器を外す権利についての議論が始まりつつあるようだ。その権利がある、と言われる先生にお聞きしておきたい。あなたが電源を切ってくれるんですね、と。この病気の療養はまことに苦しみ多く、いろんな葛藤の末、現在の患者さんとその家族がある。様々なことを思い出しながら、あのとき死なずに頑張ってよかった、という患者さんは多い。その彼らも明日はまた死にたいと苦しむかもしれない。死ねる可能性があればなおさらそういう葛藤が繰りかえされるだろう。そういうことの繰り返しが実存なのだと割り切ることで僕らの医療はある。その苦しさもある種の喜びもある未来も無理やり断ち切る行為を、まさか彼らの命の維持に心血をかけている現場の我々臨床医にやらすつもりではないでしょうね。 呼吸器をつけないで死なすことと、呼吸器を外すことは同じだと言う先生がおられる。呼吸器をつけないで死なすということは、上に記したように、ある長い過程の最終段階だ。そこには工夫も共感もあきらめも受容も存在する。それと呼吸器を外すという単純な行為が同じ医療行為という質があるとは私は思えない。 |