2005年4月23日 自動吸引装置が完成して とにかく2年で結果を出さねばならなかった厚労省科学研究補助金による自動吸引装置の開発研究です。さぞや厚労省の方もこんな名もない田舎者に研究費やっていいんだろうか、ほんとに出来るんだろうかと、半信半疑、いや相当不安に思われていたんじゃないかと思います。しかし、出来ました。本当に出来たということを、今少しずつ実感としてかみしめているところです。少しこれまでを振り返ってみたいと思います。 厚労省の関係者の訪問を受けたのは、2002年12月のことでした。日本ALS協会からのヘルパー吸引解禁の要請を受けて、厚労省としても何とかしないといけないと考えたのでしょう。彼らのサーチに、私たちがそれこそ「日曜大工のように」(JALSA東京支部の川口様からいただいたコメント)開発をしていた自動吸引装置がひっかかったようでした。ただ当初、私たちは研究資金援助のお話しを聞いても、こりゃ何か新手の詐欺じゃないのかと、半信半疑でしたが。その後、やはりこの開発は危険じゃないかと確信が持てず、お断りしに厚労省に行った開発仲間のエンジニアの徳永さんが、逆に説得されて作る約束をして大分に帰ってきて、私は呆然としました。当時は、吸引チューブは、気管カニューレを越して気管内に留置していました。その位置に長期に留置する危険性は、医師ではない徳永さんには実感がなかったのかもしれません。資金不足でそのときまで買えなかった気道内圧センサーがこれで買えるから何とかなると思って喜んでいたふしのある徳永さんに、いや、問題はそんなことではなくて・・・と私は結構暗い気分になったりしていました。気道内圧センサーを組み込んだ新しい装置が出来たから、患者さんに短時間試験をしてもらおうと患者さんのお宅に訪問する直前、あることがひらめきました。気管内に留置した吸引チューブを、気管カニューレの中までに止めてみよう。早速その方法で試験をしてみたところ、これまで同様に気管内の痰が吸引できました。やった、これなら出来る!今から顧みて、これが第一のブレイクスルーだったと思います。2003年3月に、そのことを報告書に作成し(これは主に徳永さんが書かれました)、2004年の厚労省科学研究補助金の申請となりました。後から聞いたのですが、こんなアイデア用具の開発みたいなものに研究費をつける価値があるのかと、評価委員会ではかなり議論になったようです。でも何とか通していただけた。気管カニューレに吸引チューブを引き込めるのであれば、気管カニューレ自体に吸引機能を持たせればよい、ということになります。東北にあるメーカーが、この試作品作りに協力してくれることになり、その年の夏には、第一号のカフ下部吸引用気管カニューレが出来ました。と、ここまでは順調だったのですが、吸引ロジックの作成が思いのほか難渋してしまいました。まず、痰が気管内に溜まると気道内圧が上昇します。それはごく直感的にわかるのですが、それでは正常の気道内圧をどう判断し、それがどのくらい上がったらスイッチを入れるのか。この判断がかなり難しく、さらに自発呼吸が残っていて、むせ動作があると、スイッチが入りまくりになるという問題も出ました。また、スイッチが入って吸引器が動き出すと、痰を吸引している間、すなわち吸引ラインに痰が残っている状態なら換気を奪わないはずと思っても、痰と空気を一体化して吸引してしまうため換気が奪われる現象が生じます。どの段階でスイッチを切るのかということもかなり難しい。結局吸引器のスイッチのオンもオフも結構難しいということになるのです。吸引器のスイッチが入って吸引動作に移ると、気道内圧が下がるため、今度は呼吸器の低圧アラームが発令されます。安全のためにはこれを下げるわけにもいきません。正直いって八方塞がりのような状況に追い込まれました。なんとかコントローラーを作ってみたものの、他の研究員の病院でやろうとしても、「山本先生と徳永さんが立ち会っていてくれるのなら、つけてもいい」、と言われる始末でした。研究班の会議でも、そんなややこしいことをせんでも、ずーっと吸いっぱなしに出来んのか。ボーカレード(上部吸引管のこと)を吸引器に接続して連続して唾液を吸引している患者もいるじゃないかというご指摘を他の先生方から受けました。いや、吸引器を下部吸引ラインにつなぐと、いくら吸引量を絞ってもエアリークで呼吸が落ちてしまいますからそういうことはできませんと反論したりしていました。なんとかシステムとロジックを安定させようと、2004年2月になっても徳永装器の研究室で実験を繰り返していました。そのとき実験モデルの気管に痰を注入していた器具がありました。徳永さんが、唾液吸引用に作っていた小型のローラーポンプです。「だえQ」という名前のその器具をみて、ひらめきが起こりました。徳永さん、これを逆に回してみよう!いや、やはり吸いませんね、という冷静な徳永さんでしたが、吸引ラインのロックを外すのを忘れていました。おいおい。ロックを外すと痰を吸い出してくれるではありませんか。宇佐の徳永装器から帰る車の中で、このローラーポンプを使えば、これまでの問題が全て解決するんじゃないかと、期待ばかりが巨大になっていく感覚をもちました。ローラーポンプだからエアリークがない。吸引量は少量だから、換気を奪わない。換気に影響しないんだから、常時オンに出来る。常時オンなら誤作動の可能性はない。考えれば考えるほど夢の機械じゃないかと思えました。翌々日、いつも研究に協力してくれる患者さんにお願いして3時間ほどローラーポンプによる持続吸引をしてもらいました。ゴロゴロという気管カニューレの異音に続いて、静かにゆっくり痰が吸い出されてきます。まるで見えない天使が吸い出してくれているようでした。3時間の試験は、用手吸引はゼロで終わりました。ローラーポンプを用いる、ということが、第二のブレークスルーです。私は、ローラーポンプを使ったこのシステムをエンジェル・フローと名づけました。私は有頂天でしたが、すでに最終のロジックを組み込んだ基盤も完成し、コントローラーの実機が出来るばかりになっていた徳永さんは、嬉しそうな反面落ち込んでおられました。「あのコントローラー、もう本当に使わんの?」と聞く徳永さんに、「おう、ありゃもういらん」、と嬉しそうにいう私の顔が悪魔に見えたといいます。 臨床試験の第1例は、従来型の吸引器オンオフ制御で行いました。正直言ってかなりよい成績でした。しかし、吸引器作動中には低圧アラームが鳴ったりして、私たちも不安で病院に泊まりこんでの臨床試験でした。第2例目からは、ローラーポンプに変更しました。これまでもし止まらなくなったらどうしよう、という不安が、常時つけっぱなしにしてよいのですから、これほど安心なものはありません。7例行った臨床試験では、約半数が用手吸引回数の減少に有意差が認められました。しかし、半数では効果がありませんでした。この半数でた無効例をいかに減らすか、というのが、2004年度の私たちの研究課題となりました。 まず、一つはローラーポンプの能力を上げることでした。これは、徳永さんの力では比較的簡単にクリアすることができて、15ml/分のだえQから、200ml/分の能力と、静音化に成功しました。ただ問題は閉塞が生じたときに生じる吸引圧の異常高値で、これのセンサーを設けるとそちらの方に痰が流れてセンサーが傷むという問題がありました。しかし結局高圧になるとローラーポンプから激しい異音が例外なく出るということがわかり、まずはこれでよいかということになりました。次に、カフ下部の吸引孔はどこにあけると吸引効率が良いか、という問題について実験を繰り返しました。それまでのモデルは、気管カニューレの先端に吸引孔が開けられていました。カフ下部のオーバーハングをなくしたらデッドスペースがなくなりより効率よく吸引するのではないか、と思いましたが、結局判明したのは、カフ下部のオーバーハング部の下方から吸引することでした。実験では圧倒的に他のモデルより効率がよいことがわかりました。新たに作った高容量ローラーポンプに、カフ下部下方吸引孔、この二つで、成績は間違いなく上がり、用手吸引はもう必要がなくなるのではないか、などとさえ妄想しました。ところが・・・、なかなか成績が出ないのです。半数くらいの方では、明らかに用手吸引回数が減ります。しかし、なぜか半数の方では、結構な量の痰を吸引しているにもかかわらず、用手吸引回数が減らないのです。時は、既に2005年の正月を迎えていました。研究期限まであと3ヶ月しかありません。結局11月から12月にかけて行った臨床試験は、6例中、著効0、有効3、無効3という成績に終わりました。 いや、実は、終わりました、どころの呑気な状況ではなかったのです。臨床試験を実施した2例において、カフ下部下方吸引孔が気管壁を吸い上げてしまうという由々しき事態が発生していたのです。この2例は、首が太い男性で、かつ首の前傾位置を好み、気管カニューレが立った状態で気管に挿入されている傾向があったようでした。臨床試験では、よりカニューレの長いサンプルを用いて自動吸引を行うことが出来ましたが、実際に臨床現場に使われることになると、事故が頻発するんじゃないのか、という不安がよぎりました。かなり冷たい風が背中を通り抜けたような不安感でした。研究班会議では、半数が有効なのだからあまり悩まなくてもいいのではないのか、というありがたいアドバイスもいただきましたが、事故の怖れという不安は拭えるものではありません。 内側にも吸引孔を開けてみよう。実はこのアイデアは、1年前に思いついていました。当時のカフ下部吸引用カニューレを用いて、手動で吸引器をつないで吸引することが簡単にできるということがわかっていました。しかし、当時の先端吸引孔タイプでは、いざカニューレ内に侵入してしまった痰には無力だったので、それを吸い出すために、カニューレ内側に2箇所孔をあけてみたものを、わざわざ孔を開ける器具を作って、試作していたのです。ただ、当時のローラーポンプでは、この内側吸引孔からエアを吸い込んでしまい、痰を吸引する能力が消えるだろうと、自動吸引用には使いませんでした。しかし、当時の微量の吸引量ならともかく、約15倍の吸引量を手にした今なら、それが可能かもしれません。下方吸引孔からドリルを通して、内方に吸引孔を貫通させた試作品をつくってみました。それをこれまでのように実験モデルに組み込んでみると・・・、なんと吸いません。全く痰を吸ってくれないのです。痰はモデルの気管内に溢れてしまいます。しばらく考え込んで、人工呼吸器をモデルに接続してみよう、ということになりました。一年前に、吸引ロジックを作ろうとしていたときには実施していた動的実験モデルです。すると、静的状態では全く吸引してくれなかった下方内方吸引タイプが、今度はどんどん痰を吸い出してくれるのです。気管内に溜まった痰が人工呼吸の動作で、呼気相のときに空気と一緒に気管カニューレ内に飛び込んでくるのです。それを今度のカニューレは捕捉してくれたのです。静的モデルでは、最高の吸引能力を示した下方吸引タイプは、動的モデルでは、カニューレ内に飛び込んだ痰のため異音が続き、気道内圧も上昇してしまうという状況が生じました。おそらくこの下方吸引タイプで臨床試験を行って無効だったのは、こういうことが起こっていたのではないか、と想像できました。2005年1月から臨床試験を再開しました。下方内方両吸引タイプを用いてです。変化はすぐわかりました。患者さんが用手吸引を要求しないのです。本当にいいんですか、と訪ねたある患者さんは、文字盤で、「ジャバラの水抜きだけしてくれたらいい」と答えてくれました。はあ、そうですかと平静な顔をして病室から出た私と徳永さんは、廊下で声を出さずにハイタッチ!です。この最終モデルの成績は凄いものがありました。7例中、著効5例、有効2例、無効なんと0例。内方吸引孔が、下方吸引孔のリリーフバルブとして作用するため、今回は気管壁の吸引も全く発生しなくなりました。用手吸引回数に有意差が出ただけでなく、7例中6例までが24時間での用手吸引1回以下という数値を達成してくれました。また、ある例では、最終的に1週間でわずか2回の吸引という成績が出ました。この患者は、通常の吸引回数は17回/日なのです。下方内方両吸引方式、これが第三のブレイクスルーとなりました。この最終モデルの臨床試験で、私たちは二つの「はじめて」を経験しました。一つは、看護師のみなさんから、「はじめて」これはいい、という評価をいただいたこと。もう一つは、患者さんから、「はじめて」これを持って家に帰りたい、という言葉をいただいたことです。 私たちの当初の目標は、夜間用手吸引ゼロでした。介護者が充分な睡眠をとれるような自動吸引装置を作りたい、というのが祈念でした。しかし、私たちの最終モデルは、一日吸引ゼロも夢ではないという性能を示してくれました。もちろんこれは、患者さんを放ったらかしにしてよい、ということではありません。体交や、タッピング、バイブなどの排痰援助行為は必要です。ですから無人化できるなどと言っているのではありません。それに口や鼻からの吸引は別途必要になります。しかし、あの煩雑な吸引手技の必要がほとんどなくなるのです。用手吸引がなくなる、ということは別のことも意味します。それは患者さんの苦痛がなくなることなのです。これまで気管カニューレの入った患者さんの痰を吸引することは、患者さんの苦痛はあたりまえでした。意識があれば激しくむせます。また吸引中は呼吸器を外しますから、なかにはチアノーゼが出てしまうような方も、重症患者ではよくあります。この二つが、私たちの自動吸引装置では、全くなくなるのです。人工呼吸の中断はありません。また痰の吸引に際して、苦痛は全く生じないのです。 こうして私たちの自動吸引装置の開発研究は、完成に漕ぎ着けることができました。今から思えば、ラスト2ヶ月での成功です。幸運な研究だと思わざるをえません。しかし、成功したのは研究にすぎません。これからこの方法を現実のものとして、臨床現場で使えるようにしていかねばなりません。今からが本当の勝負と言えるのかもしれません。とりあえず、今は、乞う御期待!と言っておきます。 |