2005年12月25日 音読法でいこう ALS患者とのコミュニケーションはかなり大変である。現在はコミュニケーション機器として伝の心などのPCを用いた支援装置があるが、日常のちょっとした会話とかとなると、文字盤で意思の確認をしていくことが多いだろう。眼球運動は落ちない、という古い常識は間違っていて、眼球の動きやまぶたの動きが落ちてくる人もいる。そういう人を相手に文字盤を取ろうとすると、なかなかうまくいかず、文字盤をとること自体を拒否してしまう看護師やヘルパーも出てきてしまう。文字盤拾いは、ヘルパーの中に名人が存在する。A4数枚の文字をしっかり拾える人である。底知れぬ力だと脱帽するしかない。私は下手だからだ。それに比べて、訪看などでは訪問時間が短いこともあって、あまり取ろうとしないし、そのためかうまくならない。だからますます敬遠することになる。病棟でも文字盤拾いは、簡単な指示くらいならいいが、かなり複雑な訴えを聞かなくてはならないとなると、一人の患者ばかりにずっと関れないなめ、なかなか最後まで拾えないということになる。 日本ALS協会の橋本会長は、特殊な音読法を使っておられる。橋本氏自身が口の形で「あいうえお」を示し、例えば「う」だった場合、介助者が「うくすつぬふむゆる」と音読し、会長が瞬きで必要な文字を止める。彼女の介助者(あるいは通訳)は、凄い能力だと感心するが、しかしこんな高度の技を一般化できないなあと思っていた。だけど、できるんじゃないかとふと思った。それは患者が「あいうえお」を口の形で決めるという部分をやめればよいのだ。つまり、「あかさたなはまやらわ」と音読し、行の指定を患者のまばたきでしてもらう。次に固定された行を音読する。すわわち「は」行とわかれば、「はひふへほ」と音読して文字を確定する。すなわち文字盤を口で言うわけである。確定した文字はメモに必ず残す。 どういう利点があるのか考えてみよう。まず、物理的に楽である。文字盤法では、文字盤を患者さんの目に入るところに掲げないといけない。この持ちつづけるという作業は結構腕がつらい。音読法はそれがないから腕が楽である。次に、文字盤を取るときは、文字盤と患者さんの目を両方見ていないといけない。この両方を見るということが普通の人は相当大変なのである。患者さんの目を追うのに集中しすぎて、文字盤をちゃんと指していないなんてことが、透明文字盤でも起こる。文字盤をとってもそれをメモにとるとなるとそのつど持ち替えないといけないので、難しい患者では、文字盤拾う係と、メモをとる係の二人がかりが必要になるくらいである。その点、音読法は、患者の目だけ見ていればいいから、拾うのも楽だし、そのまま手持ちのメモに書けばよいから簡単だ。患者さんも文字盤を見つめなくていいから、目の動きが悪くても耳さえ聞こえていたらOKである。問題になるのは、「だ」、とか「が」とかの濁点であるが、メモを読めば、おおよそ見当がつく。最大の利点は、ほとんどトレーニングがいらないということだ。文字盤を新人に教えるというのは結構時間がかかるが、音読法なら、「あかさたなはまやらわ」さえ知っていれば、誰でもすぐにできる。技術の高い壁が下がるのである。これは一般化するために大事なことである。限られた人にしかできない高い技術というのは、それはそれで立派なことではあるが、誰でもできる技術に転換可能なら、その方が一般的に有利である。 師長に、音読法はどうだろうかと提案したら、先生がその方法で○○さんで取れたら信じると言うので、先週の往診のとき、さっそくやってみた。実は、12月初めの大分市介護研修会で講演をしたのだが、そのしめくくりの言葉として、「この病気にかかるほどの不運はないが、大分でかかったことが幸運だったと、いわれる人になろう。街になろう」と言った。その言葉が往診先で話題になった。○○さん、どう思う?といって、感想を音読法で聞いてみた。○○さんの文字盤は極めて難しいと定評がある患者さんである。「わたしもそうおもう」。ほとんど一発でわかった。文字盤で取るのがうまいという奥様が、びっくりして言った。「私もこの方法でやろう」 後ろを振り返ると、最近この家に入るようになったヘルパー二人が目をまるくしていた。そして「これなら私たちでもできますね」と言ってくれた。 |