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2006年2月13日 気管カニューレ内の吸引 

2003年6月に、厚労省検討委員会(正確には看護師等によるALS患者の在宅療養支援に関する分科会)の報告書が出され、ALS患者にかかわる家族、医療職以外の人(つまりは主にヘルパー)の気管内吸引行為が解禁されることになった。この報告書では、気管カニューレ内部に限定して吸引が可能とされているのだが、気管カニューレ内部に限定するというこの発想は、どこからきたのか、ずっと気になっていた。なぜなら、同時期に訪問看護振興財団から依頼を受けて自動吸引装置の開発を進めていた私の考えと、あるところで一致するところがあったからだ。
そのころまで、気管切開をしている患者の吸引は、気管内に吸引カニューレを挿入して行うということが常識だったからだ。そのため私たちの最初の自動吸引のモデルも、気管内に吸引カテーテルを留置するという方法をとっていた。しかし、一時的には問題はなくても、長期間留置しつづけるというのは、気管粘膜にとってどうなのか、という疑問は当然起こる。一晩程度間歇的吸引を行うことでは問題ないことはわかった。しかし、自動吸引装置となると、一晩だけ機械に交代すればよい、というものではない。何ヶ月も、あるいは何年もトラブルなく継続できなければならない。人工呼吸が何年も継続するようにである。そのため、ここからステップアップするのに2年近く研究が止まってしまっていたのである。ちょうどその状態のときに私たちは厚生労働省関係者の訪問を受け、研究を再開するよう依頼された。しかしそのとき、吸引カテーテルの留置の問題が解決しておらず、とても引き受ける自信がなかったのだ。
そういう状況下で再開することにしたとき、突然ひらめいたものが、カテーテルを気管内に留置するのではなく、気管カニューレ内に留置するというものだった。ある患者さんに短時間の試験を受けてもらう直前、ひょっとしたらと思いついたものだ。そして患者さんにつけてもらって、それまでとほぼ同等に痰の吸引が可能であることがわかった。もちろんこのときはまだ電動式吸引器の間歇稼動をベースにしたものであるので、その後のローラーポンプへの変更などは考えついていない。しかし、最も大きな壁であった、気管内留置の問題が解決した。実はこの問題はその後カフ下部吸引用カニューレの作成のなかで再度浮かび上がってくるのであるが、気管カニューレ内に吸引カテーテルを置いておいても痰の吸引ができるというのは大きな発見であった。
2003年6月に、厚生労働省の吸引問題検討会から出された報告書では、医療者、家族以外の吸引は、気管カニューレ内を限度とすることになっていた。一体誰がそのことで可能と考えたのだろうと、ずっと気になっていたのだ。痰の吸引の効率からではなく、危険であると言い続けた看護職委員を説得するためなのか。あるいは、法律的にカニューレ内は人体ではないので、医療行為とは言えないというようなグレーゾーンを設定したかったのか、など考えていた。また、2年間の思い悩みの末やっとのことで思いついたことが、いともあっさり通達に記載されていたことに驚きもした。しかし、どうやってこのことに思いがいたったのだろうという疑問が残っていたのだ。
 私は現在看護系雑誌の連載を1月号から4月号まで受け持っている。医学書院の訪問看護と介護という雑誌で、ALSの呼吸管理と在宅医療というテーマについてである。これまで連載というのはしたことがなかったのだが、結構大変だ。やっと一つが出来たかと思うともう次のに取りかからないといけない。次のを作っていると、前作の校正がくる。校正があがると、ほぼ同時に次のを出稿しないといけないなど、他の仕事に取りかかっている暇がとれない。そしてその最終回の4月号の原稿には、吸引問題をあてることにした。そこで、厚労省の吸引問題検討委員会の議事録をきちんと読んでみようと思い立った。これは厚労省のネット上に掲示されている。見て思った。これはもの凄い激論であると。まさに火花が散るというような議論が延々と続けられている。もちろん灰皿が飛んだり(今の会議は禁煙だからこういう表現はもう古いですね)、怒鳴りあったりという情景はないが、それに近い感じを受けることすらある。それを見ていて思い出した。私たちの自動吸引の研究を一度取り上げているのだ。確かに私がパワーポイントの資料を作ったのだが、発表は看護協会の方におまかせしたので、すっかり忘れてしまっていた。その中に、吸引カテーテルを気管カニューレ断端までに止めるという部分もあった。それが2003年3月26日の第5回看護師等によるALS患者の在宅療養支援に関する分科会である。議事録のなかにこうある。看護側委員の発言である。
「最初の段階でお見せしましたように、この図にもありますけれども、気管カニューレの先に吸引カテーテルがのぞいています。これを今回、気管カニューレの先端面に合わせるということで実際に実施されています。」
「今回改良した点もあって、実は気管カニューレの開口部から何センチか出ている部分を突き出すことをやめて、一面にしたわけです。そういうことをすることによって、人によっていろいろ調整をしなくても済む、ということも実用化の第一歩だというお話を伺いました。」
 そして第6回の検討委員会は、同年4月15日に開催されている。その会議の席上、報告書の原案が提出されている。ここで「カニューレ内部までの気管内吸引」がはじめて登場するのだ。
 そうだったのか、これで腑に落ちたと一人で納得した。これまでの疑問がふわりと消えたような感覚を持った。そうなのだ。ひょっとすると出所は私自身なのかも知れないのだ。絶対反対の立場をとっていた看護協会側が、このような入れ知恵をした形跡は、少なくとも議事録からは見えてこない。なにか突然事務局が取りまとめて出してきたという経過である。事務局のなかで誰かが知恵をしぼったということなのだろう。その知恵のなかに一月前に出された私の研究がヒントになっていたのかなあ、などと考えてみた。まあ、誰か私より先にあの理論を持ち出しているというわけではないということが判明しただけでもすっきりした。全く別個に考えつかれていた可能性もないではないが、おそらくは影響しているだろうと、検討委員会の時系列を見て思う。
 長年の疑問解消の気分である。このことの妥当性については、訪問看護と介護の4月号に書いておいたので、是非読んでほしい。