2007年5月3日 ローマ人の物語、完結 少し遅れた話題ではあるが、この十年大変楽しませてもらったシリーズなのでふれておきたいと思う。ある友人に勧められてこのシリーズを読み始めた。もう10数年前のことである。第一巻「ローマは一日にしてならず」は、地味な話でもありかなり読みにくいものであったが、なんとか乗り切り、第二巻「ハンニバル戦記」で塩野ワールドにのめり込んだ。とにかく面白いのだ。まるでそこにハンニバルの象部隊がアルプスを越えてイタリアになだれ込み、散々負け続けるローマ軍の姿が見えるようである。ハンニバルについに勝つスキピオの戦いぶりも見事だ。こんな古代の話がまるでそこで今戦われているように見えるのは、その時代の記録者のおかげではあるが、単なる記録を映像に組み立てる女史の力量は半端ではない。そして第四、第五巻のユリウス・カエサルについての記述はさらに凄い。作者の塩野女史をして、この時代に生まれてカエサルの愛人になりたいと言わしめたほどの、彼の男ぶり、天才ぶりが活写されている。それだけではない。ポンペイウスのたぐい稀な才能も、ブルータスの凡人ぶりも、キケロの雄弁も実に見事に描きだされていた。おそらくかなりの読者がこのカエサルの巻と、それにつづくカエサルの義理の息子、オクタビアヌス、すなわち初代ローマ帝国皇帝アウグスツゥスの時代まで一気に読み続けたことであろう。これは単なる歴史書などではない。ローマ社会の実況中継なのだ。そして物語は、ここからが胸突き八丁となる。その後のながい停滞の時代を読み進めるのは、かなりの心構えが必要だったのではないかと思う。なんとか五賢帝の時代まではそこそこ読めていくが、そこから先は名の知られていな皇帝が続き、なかなか感情移入ができない状態が続いていく。最後のクライマックスはキリスト教がローマ社会の隅々に浸透し、ついに皇帝まで影響されていく、ローマ帝国最後のせめぎあいである。このあたりで統一的な価値観を失った帝国は衰退してゆく一方という緊張感のなかに物語は進む。滅びていくということは、戦力のみならず文化も何もかもが衰退していくということを目の当たりにさせられていく。 しかし年末に出版されるこの続き物を正月の楽しみにすることができた読者は、毎年幸福な正月を迎えることができたのだ。それがついに昨年で終わった。東ローマ帝国はいまだ存続しているとはいえ、それはもはや西洋社会(すなわちローマ社会)ではないと女史により断ぜられ、西ローマ帝国の終焉をもって、この長い叙事詩はピリオドを打たれた。一読者としては、そのような変容もあってよいではないか、これからも年一度楽しませて欲しいというのが本音であるが、実はこの時代は同女史によりローマ人の物語より10年前に書かれた「海の都の物語」で側面からは語られているので、そちらを読まれてない方はご覧になられたらよいであろう。「コンスタンティノープルの陥落」や、「ロードス島攻防記」も東ローマ帝国終焉の時代にタイムスリップが可能である。 さて、このコラムでローマ人の物語のことに触れるのにはわけがある。実はALSについてのおそらく最古の記録がこの書物に隠されているのではないかと思ったからである。 ハドリアヌスという皇帝がいる。ローマ人の物語では賢帝の世紀という巻にその生涯が描かれている。彼はローマ世界の辺境を御幸し、防壁を建て直すという仕事に一生をあてた2世紀前半の皇帝である。イギリスにも実際に渡って、ハドリアヌス防壁を築くなど、イギリス人にとってもなじみの深い皇帝のようである。大英博物館のローマ時代の展示物では、アウグスツゥスとならんでその彫像やゆかりの品が多く展示されていた。頑健そのものというイメージのこの皇帝にも、衰える日がやってくる。塩野氏は、「古代人の記す病名はあてにならないので実際は何の病を患っていたのかははっきりしない」としている。しかし「病勢がつのる一方であった」というその病状はいかなるものか。 まず起こったことは、歩行障害であった。「もはや召使のささえがあっても自分の足で歩くこともならず、召使四人が運ぶ輿の上に横たわって、広く美しい庭園を逍遥するしかできなくなっていた」ことが記される。 次は上肢の障害である。「老いた皇帝のそば近く使える(中略)若い奴隷が一人いた。この奴隷に、あるとき皇帝は自分の短剣を渡し、それでこの胸を刺せ、と命じたのである。若い奴隷は驚愕し、とてもそのようなことはできないと、涙を流して許しを乞うた」「短剣を使っての自死は再三試みはしたのだが、そのたびに、自分の胸さえも突けない体力の衰えを痛感させられていたのである」 その後ナポリ近郊のかつてのキケロの別荘跡に建てられたバイアの別邸に入り、次なる辞世を残したという。 途方にくれる、いとおしきわが魂よ そして皇帝は死んだ。紀元138年7月10日で、62歳であったとのことである。重要な点は、この一連の病状の進行が、歩行障害の発症以降わずか半年で起こったことである。塩野氏は取り上げておられないが、他に血を吐いたなどという記録もあるらしく、これまで結核とそれによる全身衰弱と解釈されてきたらしい。しかし、これを読まれた神経内科医はどのようにお感じになるだろうか。私は神経内科医ではないが、この十年以上ALSの医療に関わるなかで、これらの記述を読んで、あっと思った。これはALSそのものではないか。 60代前半に生じた急激に進行する四肢の筋力低下と、短期間の経過での死。脳血管障害による片麻痺などではない。明らかに両側性に発症し、進行している。進行が急速であるうえ、その期間を通じて意識は完全に清明である。そしてその死自体の詳しい記述はないものの、服毒自殺などではないことは、それを養子にした息子により禁じられたとあるから自然死であろう。呼吸筋力低下による呼吸不全死か、球麻痺が生じて食物を摂ることが出来なくなっての死か。それらが筋力低下に引き続き短期間で死に至っているのは明らかである。この経過に最も矛盾しないのはALSというほかない。他の疾患でこれを矛盾なく説明できるものはない。 ネット検索を用いてハドリアヌスとALSを引いてみてもヒットする文献が出ない。これだけくわしい病状の推移が記述されているのであるからこれまでも何らかの議論はなされていたと思うのだが。私はこれは、人類におけるALSの最古の記録であると、確信している。 |