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2010年1月13日 軍事か外交か、北に対して

新年おめでとうございます。いろいろなことに遭遇しながらも、なんとか新年を迎えられたことに感謝したいと思います。新年のご挨拶がわりに国際情勢についての雑感など。 

アジアかアメリカかという議論がお正月のテレビでなされていました。模範的な回答は、どちらも大事というもので、経済はアジア、防衛はアメリカというパターンで語られているように感じます。

本当にそうなのでしょうか。たとえば、韓国はずっと北との臨戦態勢にあった国です。その緊張感のなかで軍事政権が続き、国境の海では今でも突発的な戦闘が繰り返されています。この韓国において、これまでのなかで最も安全保障において大きな意味をもったものは何だったのでしょうか。アメリカとの軍事同盟でしょうか。韓国はアメリカとの軍事同盟を保つために、ベトナムに参戦もしました。しかし、それは確かに北が以前のように冒険的に攻め込むということを躊躇うほどには意味があったと思います。イランやアフガニスタンで見せ付けられたアメリカの軍事力は、いかに虚勢をはろうとも、北にとって冒険主義をひるませる抑止力になっていることは明確でしょう。しかし、それは決して国民の心理的な安心感をもたらすものではありません。むしろ緊張感をたかめ、メンタルの意味では緊張の持続を意味することだと思われます。私は、この間の韓国にとって、最も大きな意味のあった外交戦略は、1992年の盧泰愚政権による中国との国交開始だったと考えます。あの国交成立で、韓国民はおそらく芯のところで安心感を持ったのだと思います。で、わが国にも韓流として影響を与えた文化と経済の花を爆発的に咲かせることができたのだと。もちろん今でも北の脅威は語られ、国境の緊張感は保たれています。しかし、そこに住む多くの国民にとって、明日にも戦争になるかもしれないという暗い不安感が、劇的に緩んだターニングポイントだったのではないかと思うのです。そして、それこそが、外交の勝利であろうと。いかに北が軍事的冒険主義を目指そうと、血の同盟国たる中国の意思に反して行動を起こせるわけはない、というのが政治的な真実でしょう。もし北が暴発することがあるとすれば、中国の賛意か黙認がなければならないのです。その意味では韓国と中国の国交樹立というのは、北にとって選択肢を大幅に制限される大転換でもあったといえるのです。韓国は中国と国交を結んだとはいえ、別に中世のような朝貢国になったわけではありません。中国にとっても北の冒険主義に巻き込まれるような厄災は避けたいところでしょうし。まさに軍事同盟より外交の効果というべきです。

日本も同じく北の脅威にさらされていると宣伝されています。そのために莫大な軍事費が必要なのだと。あたるかどうかわからないパトリオットミサイルを国中に配備するのは、軍事的優位のためではなく、もっぱら不安解消というメンタルのための投資でしょう。防衛をアメリカに依存することも、ある意味、メンタル面での安心のために語られていることも理解できます。しかし、上に書いた韓国の現状を振り返れば、真の安全と安心は、外交からもたらされることを理解する必要があるのだと思います。軍事力が意味を持つのは、圧倒的に軍事的に優位に立てる状況のみです。それでもテロは防げないことは911が証明しています。軍事ということに対して先の大戦で思いっきり懲りて、その方面の努力をしなかったわが国では、もはや軍事的優位性を持つということはありえないのです。このたび政権をとった民主党が、嫌中、嫌韓意識で凝り固まったナイーブな小泉主義を否定して、東アジア重視路線をとったことは正解であると私は考えます。東アジア共同体構想いいじゃないですか。共通言語はアジアンイングリッシュにしていただきたいですね。そのことによって覇権国の成立を認めず、かつ世界と競争しえる東アジアが生まれると、夢想ながら私も考えます。ヨーロッパもつい60数年前までは相闘ってきた関係ではないですか。このような観点に立てば、東アジアも新たな局面を生む可能性はあると思っています。日本が香港のようになるのかと危惧される方は多いと思いますが、日本も共同体に入ることで、香港や台湾の自由も保たれることになることも考慮してみてはいかがでしょうか。なにせEUのなかで戦争がもはや起こりえないように、共同体のなかでは戦争が否定される状況になるのですから。こうなったらいかに唯我独尊の北であっても、東アジア共同体相手に喧嘩するほど低脳ではないはずですから。