2012年3月16日 神を冒涜する者は

イスラム教対キリスト教。十字軍から続くこの長い長い戦いがあります。一方の雄である米国は正規軍をイスラムの地に常駐させ、他方はテロリズムで対抗しています。なぜ宗教が違うことをもっていがみ合わねばならないのでしょうか。我々一神教とは無縁の民族には全く理解ができません。

まず、一神教の方にとって、自らの神は絶対でありますから、他の神を認めることはできません。しかし、イスラム教とキリスト教は本来出自は同じですから、もともと神は同一のはずです。比喩的にいえばマッターホルンを北から見るか、南から見るかの違いのはずです。したがって、他教の神を攻撃することは、自らの神を攻撃することになります。マッターホルンが神であったとして、南から見る人が、山の北側を爆撃することは、山を破壊することですから、自らの神を攻撃することと同一です。

そして、一神教の神は、基本的に全能の神です。オールマイティとアラーという呼び方の違いのみです。この二つは同じ意味です。では、全能であることを信じるのであれば、人は自ら何かをすることはおかしいということになります。人が神に代わって何か行動をなすことは、神の意思を勝手に推量することになるからです。なぜなら人が何かをせずとも、神は全能であるから、神が必要と思うことは、神自身によって実現できるはずだからです。もし神がそれを実現できないと思うのであれば、その人は、神は全能ではないと宣言していることになります。したがって全能の神を信じる人として許されていることは、せいぜい祈ることのみです。どうぞ、お聞きとどけくださいと。その願いが神も正しいと思うのであれば全能の神は実現してくださるはずです。もし祈っても実現しないのであれば、実現させないことこそ神の意思と了承しなければなりません。神の意思でないことを、人の手で無理やり実現することは、最も神を冒涜する行為となるのは、この意味からの論理的帰結といえます。

レーガンはソビエト連邦を悪の帝国と呼びました。実際は戦争をすることもなく、1990年代にソビエト連邦は自壊してしまいました。まあこういう事態が起こったときは、神は正しいことをなされたと宗教家は言っても許されるでしょう。実際多くの米国人はそう考えたのだと思います。しかしそういう方々は、福祉を否定します。貧富の差も、神の御心の実現なのだから、福祉は神の意思に反する行為となるからです。現に米国の宗教右派は、オバマの福祉政策に反対しています。私はこれまで米国の宗教右派が、医療福祉制度に反対しているのは、自分たちの拠出金が自分たち以外に使われることに対する拒否という狭量な反応と考えていましたが、実は神の意思という広大な概念から起こっていることを考えざるをえないことになってしまいました。しかしながら、神を信じることはずいぶんと住みにくい国を作ることになるものです。無神論たるわが国で、国民皆保険が成立し、米国ではかくも反対が起こるのはこういうバックボーンがあるのかと思い知らされます。

ただ先の論点に戻りますが、なぜレーガンはソビエト連邦を悪の帝国と呼んだのでしょうか。それはソビエト共産党が宗教を阿片として排斥したからです。レーガンにとって、無神論者の帝国、すなわち悪の帝国であったわけです。皆さん、怖くなりませんか。無神論者の国は、ソ連以外にも存在しています。そうですここ日本です。政治が強いたものではないそういう意味では本質的な無神論者の国こそわが日本です。米国の宗教右派の一部は、東北の大津波を神のご意思だと喝采したといいます。まあそこまでは理性あるものとして許しましょう。観念あるいは妄想を持つだけで、行為を起こしたわけではないのですから。

反面、ビン・ラディンのグループは、米国本土を実力攻撃しました。世界貿易センタービルを破壊するために、人の作った飛行機を突っ込ませることは、全能であるはずの神の力を信じていないことになります。いや、その行為を神が許したから飛行機は突っ込むことができたのだと言い張るのであれば、米軍によってビン・ラディンが殺害されたことも神の意思と認めねばなりません。片方で神の意思といい、片方でそうではないと言うことは、人ならあたりまえですが、神を信ずるものとしては論理矛盾です。

そこで現在世界で行われていることは、次のようなことであることがわかります。実は人は神をはなから信じてなどいないのだと。人が欲することを、神の意思と言い換えているだけの、ご都合主義、神を冒涜する人ばかりなのだと。