2012年12月6日 たかかをくくるということ

中央高速笹子トンネル天井崩落事故が起こった。当初落盤かと思ったが、そうではなく通気構造物が落ちたことをその後の報道で私たちは知ることになった。あくまで報道で見る限りにおいてであるが、その落ちた構造物の支え方はまるで素人の工事かと思った。

例えば天井から何か吊るとき、私たち素人は、天井に下からネジ止めをする。しかしプロは、天井の裏に金属のプレートを置いてボルトを突き出し、ナットで留める。僕はこれが素人とプロの違いなんだと思っていた。今回の構造が、相当な重量のあるコンクリの板を天井から吊っているわけだが、天井にはアンカーボルトを入れているだけらしい。これでは素人の天井工事と同じではないか。

コンクリートが経年変化で劣化するのは常識中の常識のはずで、しかも多くの車が走り抜けるトンネルとなると、排気ガスによる化学変化のうえ常時振動がかかり続けることによる金属疲労などが生じることは想像される。接合面に接着剤が入れられていたらしいが、接着剤も硬化するとともに脆くなることも経年変化では当然だろう。これで、まあ当分もつだろうという程度のものの考え方が土木業界にあるのではないかと想像してしまう。たかをくくっていたわけだ。

ここで福島原発事故を思い出してしまう。福島原発は高さ10mの巨大津波によって破壊された天災だと東電は弁明している。しかし、あの原発の構造では、たった5m半の津波でも同様の事態を防ぎえなかった脆弱性があったことはあきらかである。なぜなら、海面からわずか5mという低い位置に設置していたにもかかわらず非常電源が全く防水構造になっておらず、これでは津波などは原発稼動期間には来る筈がないとたかをくくっていたとしか思えない考えで作られていたからである。海岸で5mというのは、ほとんどの海岸集落でも確保する高さである。でないと台風の波で家が破壊されてしまうからだ。すなわち福島原発は台風程度しか想定していなかったことは明らかなのである。女川原発は13mの高さを確保していて、津波被害をまぬかれた。これには設置当時東北電力の会長であったかの白洲次郎氏の意向が働いたと聞く。しかるに福島原発は高さの確保も非常電源の安全性も確保されていなかった。もともと台形地形であったのにそれをわざわざ掘り崩し、海面の高さに原発を作ってしまった。

たかをくくる。このあまりに甘く楽観的な観念が我々意識のなかに間違いなく潜んでいる。たしかにたかをくくると当座のメリットは大きい。余分な費用を使わなくてすむ。そして大災害はそうすぐにはやってこない。天災は忘れたころにやってくると喝破した昔の人の観察力の確かさに驚く。そして悲観的になったらきりがないということもある。どこかで妥協しなくてはならないが、それでもあまりに楽観的な妥協をしてはならないはずだ。とくに破綻したときの影響が大きいときほど慎重にことを進めねばならない。破綻したときの影響力が極大ともいえる原発をここまで甘く設計するというのはやはり異常だと思う。わたしたちはたかをくくってしまうお気楽な動物なのだ。よく弱肉強食の過去を生き延びてきたものだ。

それらのうえで笹子トンネル事故を考えたときに、やはり上から吊るというのは無理があるのではないだろうか。重いものは下から支えねばならないと思う。その通気構造が必要であるならば、下から鉄骨を組んで落ちないように改修していただきたい。点検を充実するという効果が不明瞭な対策より、よほど根本的な対策になると思うが。