2015年6月12日 ドローンの危険性  

先日、高層階からペットボトルを投げ落として、通行人の女性に怪我を負わせる事件があった。よく打撲程度ですんだもんだと、落とした少年の幸運のほうにむしろ驚いた。脳挫傷で命を失っても全く疑問がない事態である。私たちも往診では、沢山の栄養剤を両手で持って、マンションの高層階の廊下を歩くことがある。ふらっとして、これを手すりの向こうに落としたらどうなるんだろうと思うことがある。下では子供たちが遊んでいるのだ。想像しただけで股間が冷える瞬間である。

しかし、このような危険性が、あまり認識されずに広がりつつあるのが、ドローンの流行である。これまでも無線操縦のラジコン飛行機なんてものはあったが、それが飛ばせるのは、人のいない川原とか原野とかに自主的に限定されていたはずだ。市街地でこれを飛ばすような馬鹿はいなかったと思う。またラジコンヘリも、もともとはヘリを小型化したような形態で、農業散布用とかに限定して使われていたと思うし、この主要なメーカーは日本のものだったと思う。値段も大型自動二輪並であったし、一般人が手を出すというようなものではなかった。しかし、既存のヘリとは全く構造が違い、極めて簡単な構造で、空撮ができるドローンというのがここ1年前から世の中に浸透しはじめている。我々の友人のなかに、これに早くから飛びついていた者もいるが、すでに2機を喪失しているという。彼は主に海上を飛ばしているので見失ったら絶対に回収できないが、少なくとも一般人への被害は考えずにすむものだと思う。

かなりの高度からこれが人の上に落ちてくる可能性を考えた場合、登録制とか、重要施設周りのみ制限などの生ぬるい規制で果たしてよいのかと思う。しかも値段が1万程度のものまで現れ、テレビ通販対象のようになってしまうと、我々の生活している場所の上空がとても危険なものになってしまうことは明らかである。重要施設や空港まわりのみ禁止などというのはなんだ。一般人は怪我をしたりしてもかまわないということか。人に直接当たる危険性だけではない。高速道路通行中の車にこれが落ちてきたらどうなるか。広く一般に広まるということは、ありえないような危険な行為をする馬鹿が必ず出現するということなのである。

結果に責任を負わせればすむという問題ではない。私はこれは個人の自由の範囲を超えていると思う。人に迷惑を掛けない範囲での自由が、個人の自由の絶対条件ではないかと思うのだ。このような危険極まりないものを自由に飛ばせるようにすることは、生活域の安全性の確保からもありえないと考える。最低限、コントロールを失った場合は、自動的にパラシュートを打ち出し、緩降下できることと、その安全装置の信頼性を保つことを、メーカーに課するのだ。そうすれば運用者の責任のみならず、企業の製造物責任が発生するので、安易な販売も抑制されるだろう。これらを運用の絶対条件にすべきだと思うがいかがだろうか。