山本の主張

2016年10月13日 反自動運転小論  

 自動運転が次世代の自動車のテーマだという。私はこのことをとても危惧する。自動運転は、船やボートの世界ではすでに当たり前だ。それがなぜ成立するかというと、外洋での密度が低いからである。船の自動運転は基本的にはオートパイロットという機具で、一定の方位を保つ、という程度である。最近はGPSと連動してある程度複雑なポイント回航も可能になりつつあるが。それでも複雑な道の曲線を常時トレースするなどというものではない。私たちのクルーザーヨットでも、回航のときなどは舵はこれにお任せするのが常識だ。波が高かったり、潮流が強いと蛇行したり位置がずれたりする。そして、これをさせているときに最も困るのが、実は乗り手の眠気なのだ。これをセットすると海の上ではまわりに交差する船がいなければ何もすることがない。間違いなく眠くなってしまい、大きな声では言えないが、海草をペラに絡ませてエンジンが突然ダウンして目が覚めたこともある。そのまま数十分走ると岬に突っ込むところだった。実際大きな本船で、自動操船していて眠ってしまい岸に突っ込むというような事故も数年前瀬戸内海にあったし、広い外洋で船舶同士の衝突事故なんてことが起こるのはおそらくこのせいだ。見張り不十分という表現がなされるが、実際は眠っていて見張れてないのだ。以前に新幹線の運転士の居眠りが問題になったことがある。そのときはSASが原因とされたが、かなり自動化された新幹線の運転はほぼ監視業務に近いと聞くので、多くの運転士は睡魔との闘いとなっているのではないだろうか。もちろん新幹線の場合は、運転士が眠り込んでしまってもちゃんと駅に止まるシステムのようである。自動運転でなくても、運転士の居眠りでの重大事故は長距離バスでは何度も起こっている。体の動きを伴わない単調な作業をしていて、そこから離れられない(つまり一時睡眠を取る自由がない)場合、人は睡魔との戦いになってしまい、どうしても一部は睡魔に負けてしまうのである。自動運転でなくても居眠り運転の問題は生じる。自動運転などになってしまえばどうなるのか。自ずと明らかではないだろうか。車線維持機能が自動運転のメインの機能となるようである。しかし車線は常に消えることなく引かれているわけではない。自動運転であっても運転手はハンドルに手をおいていつでも操作しなければならない義務は残るというが、より居眠りを誘発する可能性が高まることは間違いない。おそらく自動運転中の居眠りによる事故が多発することになり、現状より道路は危険な状況に陥ることになるのではないか。むしろ操作する人間が居眠りに陥ったとき、安全に路肩に寄せて止める機能こそ求められる「自動運転」ではないかと私は考える。スバルのすすめたアイサイトは、追突防止機能として極めて有用であるといわれている。このような安全サイド、止める方向での発展が、自動運転に求められるべきではないかと私は思う。地味かもしれないが、それが自動車製造会社の良心を示すことになるのではないか。そして、自動運転は一定の方向を進む船や飛行機に限定すべきであろう。ついでに言うと、飛行機の世界ではもっと発展する可能性はある。自動運転プラス遠隔操作である。今でも戦争地域では遠隔操作の攻撃機が飛び交っている。パイロットは家から軍の基地に出勤してモニタを見ながら機を操作しているらしい。旅客機も、上空に上がれば目的までは直線でも可能だ。操作する必要があるのは離着陸だけとなると、それぞれの空港の関係者が、最も詳しい自分の空港に降ろすときと離陸するときのみ遠隔操作すればいいではないか。パイロットの需要が大幅に減ると思うので、労働争議につながる可能性はあるが。あとは、無人飛行機に乗ることの心理的問題であろうか。