山本の主張

 

2019年7月10日 「彼女は安楽死を選んだ」を見て

彼女は安楽死を選んだ」。先月放映されたNHKスペシャルの番組名です。多系統萎縮症(MSA)にかかって体の自由が奪われつつある50歳の女性が、安楽死を遂げるためにスイスに渡り、そして自らの手で安楽死を実行したことを記録したものです。車椅子移動の状態で手足は不自由になっていますが、もちろん気管切開などもまだ受ける段階でもなく、若干喋りにくさがあるものの、十分コミュニケーション可能な発語ができる状態で、安楽死を実行することを自ら選び、その成就のためにスイスの安楽死団体に連絡し、現地での実施に踏み切ったドキュメンタリーでした。最後の自ら至死薬入りの点滴のクランプを緩めて死ぬという姿まではっきりと映されていました。難病に係る多くの方に衝撃を与えた番組であり、私もあるALS患者から、スイスに渡って実行したいと言われました。彼女は、どうしてスイスで出来ることが日本ではできないのかと問いかけました。私にとってもっとも衝撃的だったのは、安楽死のための毒薬が入った点滴のラインを、本人が躊躇なく開いたことです。まったくためらいもなく、姉二人にこれまでありがとうと言いながら自分でクレンメを開いていました。ついに安楽死を遂げるぞ、というようなある種の達成感につつまれたハイな状態での行為であったのかと感じます。以前から私が感じてきた、人間は想像に弱く、現実に強い、ということがあらためて実証されたような映像でした。彼女は、これから来るであろうからだの自由を奪われた状態で行き続けることへの怖れ(想像)に負けたが、最後の自殺といってよい行為(現実)にはためらいがなかった。この番組で、対比のように映し出されたのは、同じ疾患で気管切開を選んだほぼ同年代の女性です。体の自由を奪われ、まばたきしか出来ない患者が、気管切開する?と家族から聞かれ、ゆっくり目を閉じて承諾する様子が描かれていました。そしてこの女性が、シングルマザーで、タクシーの運転手をしながら娘を育てたという背景が明かされます。多くの方は、この姿を見て、否定的な感想、すなわちこんなになってまで生きたいと思うのか、自分なら安楽死を選びたいと感じるでしょう。しかし、私は、社会の底辺で必死に生きてきた女性が、おそらくだからこそ現実の困難を受け入れ、かつ負けない姿に感動しました。その生き方は美しいと思いました。

私のまわりには多くの難病患者がいます。その中には比較的早期で、気管切開なども受けていない患者もいます。ここ数年、そういう患者の皆さんとは、あるお約束をしてきました。もし心肺停止で発見されたら、心臓マッサージはしない。バギングだけにとどめる。逆に苦しんでいたら気管挿管も含め積極的に助ける。こういう二者択一を提案をしてきました。誤解のないようにつけ加えれば、もちろん提案です。診療の条件などではありません。しかしほとんどの難病患者はこの提案を是としてくれました。なぜ心臓マッサージをしないのか。それは、心肺停止で見つかっても、時間の経過が短ければ心臓マッサージによりかなりの確率で心拍再開可能です。しかし一旦心臓まで止まると殆どの方は脳に重大な障害を残してしまいます。低酸素脳症です。そのような植物状態になって生き続けたくない、という思いは難病の患者さんたち共通の願いであることを理解し、バギング(アンビューバッグで手動の強制換気を行うこと)だけにするとしたのです。在宅の現場ではただちに心臓停止しているかどうかはわかりません。心臓が止まっていなければ、脳に障害を残さず意識が回復する可能性は十分に高いのです。以前、蘇生拒否を言われていた若いALS患者が、自宅で心肺停止で見つかりました。部屋に飛び込んだ訪看さんは、ちゅうちょなく心マを行い、当院に救急搬送されました。瞬きをしているその患者をみて、私は回復可能と判断し、気管挿管し、人工呼吸器に繋ぎました。しかし彼の脳障害は重く、意識が戻ることはありませんでした。とっさのことだったから手が勝手に動いた、という心マをした訪看さんの感想を覚えています。それでこそナース。私には彼女を責めることはできません。しかしそこをよりはっきりしておこうと、心マなしという方針を明確にしたのです。バギングだけでは止まった心臓を再度動かすことはありません。従って患者さんにとっては植物状態のまま生存することを防げることになります。以前学会でこのことを発表したときは、その二者択一は、偏っていないかと批判も受けました。しかし私のかかわる多くの難病患者さんはこの申し出を積極的に受け入れてくれました。この提案が、彼ら、彼女らの心に落ちる部分があったからだと思っています。難病を生きるというのは過酷です。体の動きが一つずつ、あるいは一気に奪われていきます。しかし私は思うのですが、患者さん自身は、その試練のなかで確実に強くなっていくのだと。動けない状態で生きるなど、通常は考えられない苦痛と思われます。しかし実際にそのような状態に追い込まれたとき、動けないことへの耐性が出てくるのです。死への誘惑は、このような状態になる前、すなわちNHKスペシャルで安楽死(あるいは自殺)を遂げた状態のときの方が強いのかも知れません。人間は、想像に弱く、現実に強いのです。早まらないでほしい、そう思います。