山本の主張

 

2020年3月26日 大分のコロナウイルスの病院クラスター化について

大分での病院クラスター拡散は、現在のところ20数名のコロナ陽性者を出した。この数は、大分の人口が東京の1/10であることを入れると現時点での東京の感染者数に匹敵する数字である。大分の保健行政は、一生懸命PCR検査をしだしたように見えるが実はそうではない。あいかわらず「帰国者、接触者 」限定の姿勢が改まっていない。国立大分病院のクラスターが発見され、その関連を追うことには熱心であるが、非接触者、すなわちクラスター外への検査は塞がれたままだ。ここでなぜ国立大分病院がクラスター化したのかを考えてみたい。行政的には、帰国者接触者窓口があるからそこに相談したらよい、ということなのだろうが、我々が経験した、高熱や肺の多発性ウイルス性陰影があってもPCR対象外とされたようなあまりに限定的な姿勢が、入院患者に風邪症状患者が続発しているにもかかわらず、彼らをPCR検査できるすべがなかったことでクラスターは発生したという状況分析が必要である。入院中の患者に別の病院に行って検査を受けさせるというのもかなり困難であるうえ、その患者が帰国者や接触者でなければほぼ検査への道は閉ざされていたのだ。Twitterなどでは国立大分病院を非難する声があふれているようだが、早期発見することができない状況があったことをどれだけ世間は認識できているのだろうか。入院患者に熱発はよくある事態である。これまではまれに結核が紛れ込んでいて、問題になるケースがよくあった。それは病院の認識不足として責任を問われた。検査するすべがあったのにそれを知らず院内に蔓延させたら確かに病院の診断能力と管理能力が問われるのは当然である。しかし、今回の事態は、その検査を病院で行うすべがないのだ。今の状況であっても必要な患者が出たら入院治療を行うことになる。その入院患者が入院後熱発したらどうすればよいのだ。ウイルス性陰影がもしあっても4日間37.5度以上の熱発の持続を待たねば検査のルートに乗せられない。しかもそうなっても院内で検査ができない。インフルエンザであれば院内で簡易検査はすぐできる。しかしコロナを疑っても入院患者に検査を行うことができないのだ。そういう障壁が今回の国立大分病院のクラスター化を招いたと考えられるし、同様のことは、今後も起こりうることを知らねばならない。PCR検査を医療保険に指定したなどと言うが、それはどこでも検査が可能となって初めて意味をなすのである。現状ではあいかわらずコロナの検出には非力な状態が継続している。PCR検査を拡大すると検査希望者が殺到して医療資源を奪い、パニックが起こるとか言う論者がいまだにいるが、検査ができずに困窮する病院が出ることを放置することを是とするのだろうか。一般無症状者の検査を拡大することを主張しているわけではなく、せめて病院からの検査提出ができるようにしないとこれからも方々で病院クラスターは発生することになることは確実なのである。

2020/4/2 追記 ↓

たとえばこれがインフルエンザだったらどうなるか思い出してみたい。インフルの流行期は、病棟にウイルスを持ち込まれないようかなり神経を使います。それでも2年に一人くらい入院患者に突発してしまいます。入院患者が出歩くわけでなくても、お見舞いの方や医療職が持ち込む可能性があるからです。そういうことがなくても外来からウイルスが流れるのか突発することもありました。病棟で高熱の患者が出たとすると、すぐ血算とCRPとインフルの簡易テストを行います。もちろん必要に応じてCTなども撮ります。WBCが多く、CRPが高ければ普通の肺炎です。WBCが多くなく、リンパ球の相対的減少があるとウイルス感染を疑い、さらにインフル簡易試験が陽性だと、これは間違いなくインフル。初日の試験で陰性でも翌日も高熱が続けばもう一度検査して陽性ならインフル(これは検査の感度の問題)。患者を個室に隔離して、同室者に抗インフル薬を予防投与として半量投与し、熱発しないか慎重に観察します。幸いこれまでわが病棟でインフルが蔓延するという事態は防がれてきました。簡易検査が出来ることと、病室隔離を行うことと抗インフル薬予防投与のおかげです。しかし今回のコロナとなると、まずこの簡易検査が病院内でできない。感染源不明で新規発生なら、「接触者」ではありませんから、最低4日間熱が続かないとPCR検査のルートに乗せられません。レントゲン所見で明確なウイルス性肺炎の所見が出たらルートに載せられる可能性はありますが、もし所見がなければPCR検査の対象外です。早期発見は最初からできないことになっているわけです。大分でも国立大分病院、東京ではさらに大きな病院クラスターが形成されていますが、院内では、絶対おかしいと感じていたはずです。でもPCR検査や簡易検査ができない。現場で怪しんだらすぐにPCR検査が出来るようにならなければ今後も新たなクラスターは発生し続けます。未然防止は不可能でも、拡大させないことは可能なのです。保健行政はなぜこのことが分からないのでしょうか。病院クラスターの発生を防ぎたくないのか? 国会では厚労大臣が、PCR検査は保険収載できたから保健所を通さなくてもできるなどと寝言を言っていますが今も出来ません、そのことを野党もマスコミも追求しません。現状認識が足りません。どうなっているんでしょうね。

2020/4/8 再追記

よく名の知れた芸能人の方がコロナに感染し、なかなかPCR検査してもらえず、肺炎が出た後にやっと検査してもらい陽性だったということを言われています。その間に仕事も出たそうです。PCRなかなか検査してくれない問題はあいかわらずです。今回芸能人のおかげでその実態が世間に晒されたのはよかったと思います。日本感染症学会と環境感染学会が共同で提言を出しています。

感染学会提言

 ここには以下の記載があります。PCR 検査の原則適応は、「入院治療の必要な肺炎患者で、ウイルス性肺炎を強く疑う症例」とする。軽症例には基本的に PCR 検査を推奨しない。この提言は一体何を言いたいのでしょうか。今はっきりわかりました。怒りを込めて言いますが、この学会が問題なのだと。これまで日本のPCR検査が進まないのは、一体誰が阻んでいるからだと問われていました。検査能力? 保健所? それとも行政あるいは政治? それともいわゆる自称専門家? 違いました。この学会の主流の考えなのです。

政治という観点からみたら、加藤厚労大臣は、保険収載されたからどこでも出来るようになったという寝言を言ったりしてるくらいだから、阻害要因ではないと思われます。安倍総理もとくにこの件には検査縮小の発言はしていません。問題は一部の専門家がPCR検査を広めると偽陽性がたくさん出て医療資源を食いつぶすという発言をしていたことですが、偽陰性なら分かるがPCRでなぜ偽陽性が出るかと、概ね勘違いな発言と処理されつつあったように思っていました。ところが今回の提言は、それを堂々と学会の提言としているではないですか。 

重症者の医療を確保するために、軽症者のPCR検査はするなと言われているわけです。この学会の方々、本当に臨床現場を知るDrたちなのでしょうか? 重症者の集中医療にあたる医療職が、PCR検査を兼任しているとでも言うのでしょうか。これは一生懸命クラスターの追跡のみ頑張る保健所よりもさらにたちが悪い。要するに堂々と軽症者の放置を主張されているのです。軽症者が市中にウイルスをばらまき、それが感染爆発の要因となるのは自明のことです。これは以前イギリスがとろうとした放置政策そのものであり、膨大な死者が出るという予測が出て撤回されたものです。彼の国は首相まで感染して重症化してしまっています。感染者を出来るだけ把握し、可能な限り社会から遮断し、そこから一定の割合で出る重症者に必要な医療を行うというのが求められているはずです。軽症者に対してもきちんと可能な限りPCR検査を行い、陽性者にきちんと隔離し管理を行うことが必要であり、重症化の兆しがあったら、可能な限り早期に治療を行い重症化を防ぐことが医療資源の負担を減らすのではないでしょうか。軽症者は検査など受けず自宅待機しろというのはやみくもに不安をまきちらし、根拠もなく自宅待機もしてもらえず結果としてウイルスを社会に撒き散らす暴論だと言わざるをえません。そして病院や施設のクラスターの発生を抑制することにもなりません。医師が必要と思ったら即座にPCR検査を行うことができるようにすればいいだけです。今日も肺炎疑いの患者が来院されました。安易に入院させて万一コロナだったらと葛藤します。現場でPCRができないことがこんなにストレスを与えられていることを学会の方々は分からないのでしょうか。

2020/4/9 再々追記

今回のコロナにおけるPCR検査制限の問題は、結核対策に置き換えるとよくわかります。これまで結核は戦後の猛威を振るった状態からはとっくに離脱していましたが、ポツリ、ポツリと発生していました。施設や病院内などで早期に発見できず施設内で集団感染を起こしてしまったこともありました。現在結核の新規患者の発見は、現場の医師の目に支えられています。現場の医師がレントゲン写真などで結核を疑った場合、喀痰の検査、あるいはPCR検査、またTspotのような血液検査で結核かどうか判断します。結核陽性の結果を得たら、医師は結核予防法に基づき保健所に通報する義務があり、それを受けた保健所は徹底的に「濃厚接触者」の調査を行うことになります。ここで重要なことは、現場の医師に結核であるかどうかの判断が委ねられ、それを判断する検査手段が存在することです。保健所の役割は、結核の早期発見ではなく、今風に言えば、クラスターの追跡と封じ込めです。現場の医師の目がセンサーになって、社会に結核が蔓延することを防いでいるわけです。しかし今回のコロナの対策においては、これが倒立しています。現場の医師が疑っても検査を認められないケースが後を絶ちません。現場の我々医師が疑っても、結核で行えたような検査を行えない。そのことが我々がセンサーになってコロナの早期発見を行うということを不能にさせられているのです。帰国者、接触者相談窓口なる保健所の一行政機関が、社会防衛のシステムを破壊していると言ってよいです。東京ではすでに感染源不明の患者が大半を占めるに至っています。帰国者や接触者のみ調査すればよいという状況ではありません。先日受診した微熱が続くという患者も、本人が窓口に電話したら、取りあえずかかりつけを受診するよう指示されたということでした。そのかかりつけは検査の手段を持たないにもかかわらず、です。一刻も早く、この相談窓口を閉鎖すべきです。そして、現場の医師を社会のセンサーとして活用すべきです。現実は、早期発見の機会を奪い、大きくクラスターに成長させてから対策するという愚策になっていることが理解されるべきではないでしょうか。

2020/4/17 再々再追記

全国に非常事態宣言が敷かれるとなった今日、新型コロナに対して私たちはどう立ち向かうべきでしょうか。PCR検査を拡充すると、軽症者と疑陽性者があふれ医療が崩壊するとして、軽症者のPCR検査を推奨しないなどとわが国のこの分野を代表する二つの学会が提言なるものを4月になってなお出していました。わが国は、PCR検査を拡充させ、軽症、無症状者を施設隔離してきた韓国と真逆の方法論を取ったのです。その結果が毎日500人以上の患者数の増加となった日本の状態です。韓国は人口が少ないとはいえ、現在20数人にとどまっています。当初感染爆発が予想された韓国は感染コントロールに成功し、日本はあわてふためいているのです。どちらの方法論が正しかったかなどもはや検証する価値もありません。感染関係の学会は猛省し解散されたらいかがでしょうか。現在やっと軽症者の施設管理で重症者の医療を確保するという方法が取られはじめました。しかし軽症者を施設で放置してよいのでしょうか。今言われているのは、軽症者から重症者が出たら対応するということのみです。軽症者を重症者にしない医療が進められるべきではないでしょうか。例えばアピガンが有効であるというデータが中国ではあるらしいのですが、国内での有効率などのデータは見ることができません。おそらく重症者への効果は限定的だと思われます。でなければ重症者死亡率が改善するはずですが、そうなっていません。有効性があるのなら、軽症者に積極的に投与し、重症化阻止を期待すべきではないでしょうか。投薬程度では大した医療資源の消費にあたりません。軽症者から重症者に対し、どのような医療を行うのかという全体を見渡した戦略がまるで見えてきません。このような状況において、再度言いますがPCR検査の拡充と軽症者や感染無症状者の早期発見が必要です。感染の潜在・拡大化を防ぎ、また病院、施設でのクラスター形成を阻止するために、現場の医師の目を信頼し、感染者の早期発見に努め、隔離のみならず軽症のうちに有効性が考えられる薬を投与して重症化を防ぐ、というプロトコールが必要なのです。医師の目を行政機関が査定するようなシステムは一刻も早く廃止せねばなりません。あらためて思います。韓国にはこれら危機に立ち向かう鋭いインテリジェンスの存在があるのだろうなと。それは北の生物兵器への対策として存在してきた可能性があります。そしてわが国は、・・・悲しいので書けません。