Dr Makotyの近況報告2024

7/23 金曜夜幕張に行きました。羽田からバスで一便満車で45分遅れで乗車。海浜幕張の駅から徒歩10分少々でニューオータニに到着。このホテル、東京のもそうなんですが、なんか中が寂しいのです。いつも人でごった換えしている品プリあたりと違いますね。ただ朝食はとてもGood。朝一の講演なので6時半に下りましたがもう行列でした。急遽決まった講演(Late Breaking Session)で初日朝一なので聴衆はほとんどいないだろうなあと覚悟していましたが、意外にも会場の7割がた埋まっていてびっくりでした。長期人工呼吸はPCVかつPEEPを抜くくとでかくも患者に安楽なものになるのだ、ということを力説してまいりました。僕もそう思うけど、若い先生方は最初からPEEPが前提なんだよねと同世代のDrと話したり、まだ若手の小児科Drから長年の疑問が解けましたと言っていただいたり、一緒に自動吸引の気管カニューレ開発に関わってくれたメーカーの営業の方が来てくれたりとなかなか実りある講演になりました。在宅医療連合学会というのは初めての参加でしたが、人の多さに驚きました。こんなに大きな学会なんだと。私も在宅医療は難病では30年やってますが、これまで接点がなかったのです。幕張から羽田に向かう帰りのバスでは、都心の方が真っ暗で、これはすごいスコールになってるだろうなと思っていましたが、そのおかげで羽田では雷雲のため空港停止措置で機内で長く待たされることに。これが古い機体のためかエアコン効かずに暑くて暑くて。同夜千葉では洪水騒ぎがあったようです。以上、真夏の学会出張の顛末でした。
7/18 ついに梅雨明けでしょうか。昨日午後から夏の陽射しになっています。南九州は昨日梅雨明けでしたが、北九州は福岡が明けないと宣言されないので、もう少しあとかな。さて、本年1月からパソコン作業し続けでした。正確には休日限定ですが、論文書き続けてきました。一本は先日公刊された難病と在宅ケアに載せていただいた論文で、ALS診療ガイドライン2023の人工呼吸器設定についての批判です。本論文をご評価していただいて、急遽在宅医療連合学会にて緊急講演をさせていただくことになりました。今週土曜の朝一です。ここしかないがいいかと学会長様よりお電話をいただきました。ご推挙ありがとうございます、荻野美恵子先生。もう一つがこの4月からとりかかった大分市在宅人工呼吸患者の新型コロナ感染リスクというものです。昨年は同じテーマで、当院のクラスターを分析した英文論文で、大分大学医学部先進医療科学科の道越先生が中心になって海外誌に投稿中です。私の方は、大分市の訪問看護ステーションへの調査で、大分市の在宅人工呼吸(気切限定)患者の実態と、家族が新型コロナに感染したときの、家族感染率と患者感染率の比較を行い、患者が有意に低い感染率だったというものです。英文が院内感染の実態で同様の結果を得て、ある意味兄弟論文という位置づけとなります。このたび難病ネットワーク学会よりアクセプとトを得ました。さあ、これから査読との議論です。この半年PCに向かいすぎて老眼がどんどん進みました。これまで見え方の困らなかった方なので、これは不便ですね。今書いているパソコンの文字が滲んで困ります。
6/28 先日の超忙しかった土曜日の最後は、理事懇親会。顧問弁護士の岡村先生にも来ていただきました。そこで話題になったのは、ご存知、虎に翼。弁護士の皆さんもファンが多いそうです。カーネーション以来の真剣な朝ドラだと私も思っていますとお答えしました。居ずまいを正して毎日見ていますと。岡村先生いわく、あれを見ていると、皆さんモデルがいるのが分かるんですね、そこがまた面白い。桂場さんとか、穂高先生とかね。私らの世代(先生はもうすぐ80歳)だと、知っている人も結構いるんです。穂高先生もモデルがおられるんですか、と私。穂高先生は、穂積さんという方がおられてね〜。懐かしい顔をされていました。さて、このたび発刊された難病と在宅ケア7月号7に、小生の論説が掲載されました。ALSの人工呼吸管理、ALSガイドライン2023を考察する、というものです。今年の1月から3月にかけてデータを取ったり、患者さんの感想を伺ったり、頑張って作った論説です。関係者の皆様はぜひお目をお通しください。安全、安楽な呼吸管理がテーマです。
6/26 なんとか6月中に新型コロナと在宅人工呼吸管理の関連についての論文を提出したいと追い込みに入っております。先週は土曜にあった集会(進化する介護2024 in 大分県 広域さくら会、CIL共催)の基調講演を頼まれて、その準備に使ったので、1週間ぶりの復帰です。さて、新型コロナなどという大きなテーマにしたので、かなりの英文論文を読む羽目になりましたがここで役立ったのは、グーグル翻訳です。とにかく翻訳の精度がこれまでとは別物。いわゆるAI翻訳の機能ということなのでしょう。ほぼ完璧な日本語に翻訳してくれます。ますます英語が読めなくなるなあと思いますが、おかげで読み込みが大変助かりました。さあ、学会誌となると査読が待ち受けています。前回、呼吸療法に出した論文は厳しい査読で通過するのに9ヶ月かかりましたが、今回はどうなるでしょうか。
今月末に発行される難病と在宅ケア7月号に私の論説を載せていただいています。ALSの人工呼吸管理、今回はALSガイドライン2023の設定についての批判です。実はこれも相当の力作なんです。関係者は是非目を通してください。よろしくお願いいたします。
6/13 下には書かなかった宇和島のヨットレースの成績。はい、ご明察のとおり、駄目レースやってしまいました。明らかに自分たちよりレーティングの低い艇たちに先行されてしまい、反省しきりです。永遠の無冠の道まっしぐらであります。さて、ホタルの季節になりました。先週のことになりますが、仕事を終えて野津原町を先に進み、ダムの下流の七瀬川に向かいました。ここはそんなに多くのホタルがいるわけではないですが、気軽に行ける舗装道路と、カジカの鳴き声が美しいところなのです。暗くなった道を、人がいるといけませんので、ゆっくり走っていきますと、突然右前方から何か大きな物が現れました。大きな犬?いや違う、猪や。まさにぶつかるかと思った瞬間、急ブレーキを踏んだ車の左横に消えていきました。大きかったなあと、急ブレーキの影響でいろんな物が散乱した車内でため息です。怖くて車から降りれず、結局ホタル鑑賞は中止。しばらくドキドキが止まりませんでした。
5/6 さてゴールデンウイーク後半4連休です。前半は宇和島のヨットレースに参加し、雨のなか帰ってきました。3日間の通常勤務のあと、どーんと4連休。後半初日はセーリング。いい天気とよい風に恵まれ別府湾を縦断。途中でご飯のために後ろから風をあててのんびり走ったこと以外は、結構なスピードでしぶきを飛ばして走っておりました。二日目は車で角島大橋へ。一度行きたいと思っていたのですが、連休行楽地の激込み状況に対する認識が不足していました。下関インターでの混雑以外は割りにスムーズに目的地に着いたのですがl、この大橋の対抗車線が車で埋まっています。どこまでこの渋滞が続いているのかと島の中に入りますが、なんと島のほぼ先端から渋滞です。島を抜けるのに1時間以上かかりそう。幸い尾山港を経由するショートカットルートがすいていて、橋の袂に出るというズルしたのでそんなにつらくはなかったのですが、橋を渡るだけで優に30分以上かかりました。3日目は天気が持つのは今日までということで再びセーリングに出ました。が、とんでもない風でした。南風なので波は立ってないように見えましたが岸から吹き込む風は20ノット、何度も畳み掛けてくるブローは30ノット。メインセールを上げて港外に出ましたが、ジブセールを上げる余裕なく、吹き倒されそうになりながら突っ走りました。わずか30分で昭和石油の前まで到達しました。このときの佐田岬の観測は、風速20mを記録していました。この風のなか無事セールを下ろしてバースに着けるだろうかと心配しましたが、幸い陸からの風のため波が低く、無事完了しました。4日目、雨でおこもりです。何もせずに一日おこもりで使うのも連休ならではの贅沢です。これがただの日曜ならもったいない感で焦ります。次の論文の準備を中華製プリアンプでKate Bushなど聞いてすごしておりました。
4/18 4月17日23時14分。お風呂に入ってラジオ聞いてゆっくりしておりました。すると、突然地震警報。え、と思うまもなくお風呂が揺れている。風呂のお湯が大きく盛り上がった波になってお風呂から飛び出しそう。やだな停電になったら困るなと風呂から出ますがまだ揺れております。居間に入るとTVが地震速報やってます。大分は震度5? 時間が経つと震度5弱が佐伯と津久見で大分は結局のところ4に落ち着きました。ヨットの仲間が沢山いる佐伯が5弱、宇和島は6弱とのことで、なんでしょうかこのちょっと負けた感は。被害は自宅も病院もありませんでした。ガタガタという感じではなくゆ〜らゆ〜らとゆっくり揺れていただいたのがよかったようです。
4/11 おお、なんでこんな単純かつ有効なことに気づかなかったんだろう、というのがここ1週間の私の感想です。私は、高研さんと一緒に胃カメラを飲みやすくする、コーケン・エンドスコープ・リーダーという医療器具を開発しているのですが、当初よりどうしても咽頭が開かないケースが少なからず存在するということに悩んできました。鼻をクリップすることにし、舌を側方より外に出すという別構造や、舌を下顎内に格納する方法など考えてきましたが、どうしても開かない方がいます。口からの吸気にあわせてカメラを入れるのですが、なぜか咽頭が開かない。なぜなんだろうと煩悶しておりました。ところが先週あることに気づきました。たとえばシュノーケルのように筒から息を吸うという感覚になってもらったらどうだろうと。で実際そのように指示したところ、素晴らしくうまく行くのです。しっかり咽頭が開き、マウスピースの先端から一気に喉頭まで見渡せます。このわずかな違いが絶大な効果を呼ぶことが分かりました。やり続ければ必ず解決は見つかる、ということがまたも証明されました。昨日胃カメラを受けた私の口の悪い友人は、前はのどをつつかれてげーげーいうだけでなかなか入らなかったけど(当院ではありません。念のため)、これはスーと入るなあと言ってくれました。もはや鼻クリップの必要もありません。小さな一歩ですが、文字どおり大きな視界が広がりました。ちょっと小声で「万歳」。
4/8 日曜は雨の予報から曇り予報となり、久しぶりのレースは超微風での開催。4艇の参加がありました。12月のクリスマスレースが流れ、3月も中止となったので約5ヶ月ぶりのレースです。まずは喫水線のフジツボ落としと年末補修したレーシングセールのセット。真上りのスタートはうまくいってするすると抜け出せましたが、大型2艇は流されてスタートできず。トリマランの小型艇のみついてきます。あちらは軽くて沖に走っていきますが、上りはこちらが有利で徐々に差を開き、観光港沖では他艇に大きく差をつけ、風が止まらなければこのレースとれた、と思ったとたんに無風に。大型2艇はあきらめてリタイア。しかしトリマランがあきらめてくれません。ライトジェノアに換えて超スローで日出を目指しますが、日出湾に入ったところでアビームに。引き離していたトリマラン、青いジェネカーを出して猛追開始。どんどん大きくなる船影を見て焦りますがどうしようもなく、ゴール寸前で抜かれるかというところで敵は下突破失敗。わずか2秒でしたがこちらが先着。なんとかFHを取りました。もちろん優勝はあちらです、普段1時間のコースに3時間半。なかなかしんどいレースでございました。
4/4 二日前から、ブラウザがグーグル関連サイトにアクセスしたとたんに落ちるという怪現象が起こっております。ブラウザはBRAVEなのですが、これがグーグル検索やyoutubeにアクセスしたら寸殺されてしまうのです。グーグルによるBRAVEへの攻撃ですね、これは。自分の関連サイトに接続したいならクロームを使えという脅迫です。昨日NHKがネットでの詐欺商法についての番組をやっていました。米国ではアマゾンに対し国が訴訟を行っているそうです。そりゃそうでしょ。普通にクリックしたらプレミアに誘導されて勝手に5000円抜くという犯罪行為をしている奴等なのですから。私も以前それをやられて憤慨し、二度とアマゾンなど使うかと決意したものです。しかし流石は米国。このアマゾンに対ししっかり対決しているではありませんか。我が国の消費者庁の体たらくを考えると情けない。さて、↓のプリアンプの話です。ソ連製真空管実装の中華製プリアンプNobsound SA1000、9999円はどうなった?いやいや、これが実にいいのです。メインアンプはもともとラックスの真空管でしたが、これでプリ、メインとも真空管となり、実にたおやかな深い音色で奏でています。一発目からおおお、という感じでしたが、ネットにある種々のクレームを見て、即断できないと考えていました。どうやら1週間たったのでほぼ大丈夫かなと。メータが動かないとか、低音コントロールができないとか、そんなコトはどうでもいいのです。もちろん微動だにしませんよ。
3/27 珍しく連投です。この1月からの論文執筆(といっても筆は持たないですが)の助けになってくれたのは、小生が高校に入ったときに父から買ってもらったサンスイのステレオ。チューナー付プリメインやターンテーブルは廃棄しましたがスピーカーはしぶとく生き残ってきました。ながく医局に置いていて月10回以上あった当直のときに聞いておりました。しかし当直を外部に委託し、新たなDrが加わって医局大改造のおり、自宅に持ち帰りましたが、ダンボールの中に入れたままでした。この正月、10年ぶりに箱から出して電源入れてみると、しばらくDENONのプリアンプが調子悪く音が出たり止まったりしましたが、1,2時間あたりでほぼ安定し、ビル・エバンスのピアノを暖かい音色で奏でるようになってくれました。ラックスの真空管メインアンプも併せて、約50年前のスピーカーがこんなに艶やかな音色を出せるのかと感動です。ところがこの前の日曜に、論文もいよいよ完成というときに、あれ、雑音?と思うまもなく沈黙してしまいました。電源すら入らない。なに、一晩寝たら元にもどってるやろ、という淡い期待もかなわず沈黙したままです。考えたら往時のオーディオブームなど霧のかなた。プリアンプなんて売ってるのか?ネットで探すと超高額なブランド中古品と、怪しげな激安中華製がヒットします。レビュー見ると、電源すら入らないとか、2時間でコントロール不能になったとかいう嘆きの投稿少なからず。これはもはやギャンブルですが、ポチってしまいました。なんせ1万くらいで安いし。今週届く予定ですが、続きは届いてから。果たしてまともな音が出るようになるのでしょうか。安物買いの銭失い、とか昔はよく言われてましたね。
3/26 神経学会のALSガイドラインにおける人工換気設定に対する批判論文を1月から集中して打ち込んできました。海外の論文などを見ると、最近はイタリアでの気切人工呼吸が増えているようです。しかしなかなか正常肺に対する人工呼吸の方式という観点のものは見えてきません。いくつかの論文がありますが、そのほとんどが、血液ガスの値を正常化することを指標としています。そして急性期でスタンダードになった肺保護換気の強い影響力です。私は20数年前、患者が呼吸苦を感じない設定にすると、血液ガスでの炭酸ガス分圧が正常以下に落ちることを知りました。知り合いが、当時の慢性期呼吸管理の権威であった大阪府立羽曳野病院の木村謙太郎先生にそのことをたずねたとき、先生は回路にバッファータンクを入れて下がらないようにすべきだと答えられたと聞きました。いや、そうじゃない。血液ガスの正常化を求める限り、PEEPは入れたくなるし、患者さんの安楽は得られないということを知らないと、超長期の人工呼吸が拷問の類になることを知ってほしいと切に願ってきました。なかなか多勢に無勢ではありますが。これまで複数の学会での教育講演などもさせていただき、だいぶ理解されてきたのかと勝手に思ってましたが、現実はそうでもないようです。今回の論説が一定の賛同を得られるかどうか。一ついえることは双方を経験してもらった在宅患者さんの感想は、圧倒的に私の設定がよいと言ってくれたことです。
3/12 高齢の女性の患者さんと外来でお話をしていると、兄弟、家族を皆失って自分だけこの歳まで元気で幸せ者ですと言われます。何があったのですかと聞きました。淡々と語られたその経過とは。父が軍人で満州を転々とし、戦後引き上げのとき、収容所で自分以外の兄弟5人と両親が1年間で次々コレラなどで亡くなり一人ぼっちに。昭和22年、子供のいない夫婦の子供ということにしてもらい8歳で博多に引き上げてきたとのことでした。あのころのことは、よーく覚えているよとのこと。まだ戦後はかすかに続いているのだと実感しました。引き上げのことは母から少し聞いていました(母は朝鮮からの引き上げ者)が、もうずいぶん前に亡くなりました。でもまだその当時の記憶を保っている人がいるのだなあと少し感慨深いものがありました。
2/29 いや〜、またやってくれました。我らが岸田総理! またも自爆営業で安倍派追い込み。さすがは私が支持する岸田さんです。今回の手はちょっと考えつかなかった。このひらめきも凄いです。もうこうなると、岸田さんの安倍派憎しは本物ですね。この手でフルオープンに持っていくとはおそらく彼以外の誰も考えつかなかったのではないでしょうか。人間必死で考えると、道は開けるの典型だと思います。さあ、野党の皆さん、ちゃんと追い込めるか。ここでだらだらつまらない質問やってたら、今度は野党が墜落してしまいますよ。両者本気でぶつかれ〜〜。
2/9 FBで投稿したのですが、豊臣秀吉の死因はALSではなかったかと思うにいたりました。以前から秀吉が急に元気がなくなり、ほどなく亡くなってしまうこと、62歳という年齢なのに老衰のような最後が腑におちませんでした。先週の関口宏さんの一番新しい中世史を見て、解説の加来耕三さんが、人生50年の時代ですからね〜と言われていましたが、それは栄養状態の悪い人や、戦いで命を落とすからの話で、生物学的には我々と同じ遺伝的個体なのですから、昔の人がことさら早く老いたわけではありません。家康だって74歳だし、坊さんの世界じゃ高僧なんてあたりまえ。戦と飢えがないからでしょう。古代の武内宿禰というお方は300数歳までご存命だったとの話ですし(冗談ですが)。 そして秀吉は栄華の限りを尽くした贅沢者でしたから、偏食やアルコールの影響はあったかも知れませんが栄養不良による早老化ということはないはずです。番組によれば、体調を崩してわずか半年以内に亡くなっていること、意識障害などは生じていない(秀頼のことを心配してた)、起き上がれないなどの症状は単なる老化ではなく、当時も病(やまい)とみられたとおり、この一連の症状の進行と死はある一つの疾患からくるものと考えるべきです。そうです。ALSです。この時代、急激かつ進行性の筋力低下が生じ、動けなくなるともに、食事もとれなくなるとすると発症後半年で衰弱して死亡するのはALSとしてはむしろ当然の経過です。以前私は、ローマ帝国のハドリアヌス帝の死因はALSだという論を出しました。奇しくも秀吉もハドリアヌスも生前は元気者で通り、どちらも急激に衰え、亡くなったのは同じ62歳どいう年齢でした。
1/20 羽田の飛行機衝突事故は、その後の報道で詳細が分かってきました。私が↓で指摘した信号灯は設置されていたようです。しかし作動していなかった。それが昨年4月からという説と、12月27日からという説がありどちらか正しいのか不明ですが、当日作動していなかったことは確か。大事な信号つかなくてもそのまま運用するわけですね。そこらあたりの交差点でも信号つかなかったらおまわりさんやって来て、手振りで代役しますけどね。海自機の通信の誤解が指摘されていますが、これは注意喚起の非対称という問題があったと思われます。管制官は、全体状況のなかでの一飛行機への関心であり、海自機にとっては自分一番の関心となるわけで、それが今回の伝達エラーの原因になっていたと考えられます。だから言ったつもり、聞いたつもりの伝達ゲームは駄目なんです。大したことが生じないことなら、あ、俺間違ってたですみますが、一つ間違えたら大惨事になるような事態で、伝達ゲームに頼るようなことをしてはいけません。なぜ真っ先に信号灯を直さなかったのか。そこに安全に対する客観的な姿勢が問われていると思うんですよ。滑走路一本しかないような田舎の空港ならいざしらず、天下の大空港の羽田がこれでは情けなさすぎますわ。
1/4 新年おめでたいどころか、大変な年明けとなりました。1/1の能登大地震、1/2の羽田飛行機衝突事故とたてつづけにTVに釘付けになるような事態が起こっています。地震は避けようがありませんが、被害は減少させることは可能です。私は以前から屋根の瓦を降ろそうと提案してきました。木造の家屋に屋根の瓦というのは和式住居の典型ともいえますが、この重い屋根が地震の揺れで、下を押しつぶしてしまうのです。今回も多くの和式住居が倒壊したようです。地震で命を落とさないため、一刻も早く屋根から重い瓦を取り除いてください。あとは軽いスレートに換えるのがお勧めです。さて羽田という我が国の主要空港で衝突事故が起こるとは驚きました。未開発国で起こってしまうならともかく、なんたる事態でしょうか。もう少しタイミングが悪かったら旅客全滅の大惨事になるところでした。この現代において、いまだに会話だけのコミュニケーションで飛行機の着陸や離陸の管理をしているというのは遅れすぎていませんか?コミュニケーションエラーは必ず起こります。それが大惨事につながるのなら、気をつけようでは駄目です。なぜ信号を設置しないのでしょうか。誘導路から滑走路に入るところに赤、青の信号があれば、今回のような衝突は防げるはずです。交差点にも、線路にも信号は必要不可欠です。なぜ空港にはそれがないのでしょうか。コミュニケーションをバックアップするフェイルセーフの重要性が今こそ認識されるべきと考えます。

 

 

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